昭和の時代、カセットテープを使っていた方なら、長年保存しておいたテープに「転写」が起こり、音質が劣化した経験をお持ちだろう。

テープに塗布された磁性体は、外部の磁力を容易に帯びるからこそ録音が可能になる。しかし長期間巻かれたまま密着保存すると、重なった部分同士が影響し合い、音が転写されてしまうのだ。オーディオ的には深刻な問題である。

だが、人材育成においては、この「転写」こそが実に重要である。新入社員は、隣席の先輩の電話応対や顧客とのやり取りを耳にしながら、自然に仕事の作法を学んでいく。これはマニュアルに記されない暗黙知の、ゆっくりとした転写だ。

ところがコロナ禍で定着したリモートワークでは、このプロセスが原理的に起こりにくい。数週間であれば問題は目立たないかもしれないが、数年単位で積み重なれば後輩が得られる経験値には大きな差が生じる。

リモート勤務の弊害として「議論が深まらない」「人間関係が薄くなる」といった指摘はよくあるが、「暗黙知の転写が起きにくい」という点が最大のデメリットなのではないか。

今後、企業がリモートと対面のハイブリッドを模索する際、この「転写の欠如」をどう補うかが問われるだろう。単なる研修やマニュアルだけでは埋められない、現場の匂いや空気感──それをどう再現するかが鍵となる。