お盆休み中。友人たちおすすめの『月の裏側』を読んでみた。

フランス構造人類学の巨人…クロード・レヴィ=ストロース。『野生の思考』『神話論理』で世界の構造を読み解いた彼が、晩年に“見えにくいけれど確かに存在するもの”として日本文化に目を向けたのが、本書『月の裏側』である。

一方で、これだけ日本神話について詳しいレヴィ=ストロースだが、初来日前に書かれた『悲しき熱帯』『野生の思考』、そして晩年の大作『神話論理』には、ほとんど日本は登場しない。

それゆえ、本書が「野生の思考」を日本を素材に例証してくれている点は、非常に貴重でありがたい。しかし、できれば彼の三大主著の中にも、もっと日本を登場させてほしかったという寂しさも残る。初来日前に書かれた著作に登場しないのは仕方がないのだが…。

書名の比喩が示すのは、日本文化の“もう一つの顔”への招待である。歴史の教科書がヨーロッパを中心に語るのは月の見える側にすぎず、レヴィ=ストロースはその裏側としての日本に歴史の均衡と同等の価値を認めようとする。それは、世界史の見方そのものに対する一種の挑発だったのではないだろうか。

神話に見るブリコラージュ思考

本書で印象に残っている因幡の白兎説話の論考。ここでは、日本の神話(『古事記』)編纂者が、他民族神話から必要な断片を抽出し、『古事記』の中で構造的欠損を埋めた過程に注目する。

これはまさに、与えられた素材を再構成する“ブリコラージュ”(レヴィ=ストロースの提唱する言葉)の日本版応用術であり、文化の成熟を示す証であろう。日本神話は純粋な独創ではなく、構造上の空白を精緻に埋める編集技術にこそ価値があると、彼は見抜いていたのだ。

音楽、禅画—所作と表現の構造美

本書では、音楽論や美術論も展開されている。

彼は、和音の同時性で成立する西洋音楽とは異なり、日本の音楽は“時間の中で音を重ねて調和を築く”という構造を持つことを指摘している。虫の声さえ楽音の一部となる感性は、西洋とは異なる音韻の枠組みを示している。

禅画の仙厓を扱う章では、ユーモラスでありながら力強い筆致が、禅の思想と生活哲学を一体化すると述べている。形式と思想の境界を超えている点は、構造美の極致なのかもしれない。

フロイス・チェンバレンの描いた日本

この他、非常に印象に残っているのは、ルイス・フロイスやB.H.チェンバレンによる日本文化の解釈との対比である。

フロイスは戦国期の日本に滞在し、西洋との風俗・価値観の違いを詳細に記録した。一方、チェンバレンは明治期の日本を観察し、自らの言語観と文明観を重ね合わせて描写した。

レヴィ=ストロースによれば、フロイスやチェンバレンが日本について語った表現は、古代ギリシアの歴史家ヘロドトスがエジプトについて記した文章と驚くほど似ている。いずれも対象文化を「ほとんどの点で自らと正反対」と位置づけ、その対比を通じて自文化を際立たせる手法だ。この構造的パターンは、時代や地域を超えて繰り返される文化認識の枠組みを示しているのかもしれない。

 

 

本書の最後を飾るのは、本書の訳者・川田順造との対話である。日本・アメリカ先住民・東南アジア島嶼文化を三角形の頂点として配置し、遠い過去の文化交流を推測する構想について語られる。最晩年まで構造主義を駆使し続けたことが、ここでも伺える。

本書の特異性は、著者が西洋人でありながら、西洋文明をも相対化している点にある。文化の比較は本来、どちらにも属さない第三者が望ましいと思うのだが、彼は自身の文化的背景を自覚しながらも、その枠を超えて両文明を等距離から見つめた。

ただし、彼が描いた「東洋の奇跡」日本は、彼の没後の現実と必ずしも一致しない。経済停滞の「失われた30年」を迎えた今、もし彼が生きていれば、この変化をどう構造的に解釈しただろうか。