時間遡行(タイムリープ)もののSF作品は、いつの時代も人気だ。

過去に戻って選択をやり直し、失われたものを取り戻す。あるいは、悲劇の運命に抗う… この構造は人間の根源的な願望に根差している。だからこそ多くの作品が繰り返し描いてきたし、観る者の心をつかんできた。

しかし、現代物理の知見に基づいて冷静に考えるならば、

「たとえ過去に戻れたとしても、同じ未来に戻ることは原理的に不可能である」

ことは無視できない。

これは感傷でも、物語批判でもない。

カオス理論、量子力学、不確定性原理、そして自発的対称性の破れ…これらの物理学的原理を踏まえる限り、時間遡行がもたらす未来は常に“別物“になる。

カオス理論:わずかなズレが未来を大きく変える

カオス理論が説くのは、「初期条件の鋭敏性」である。

これは、あるシステム(たとえば気象や人体や社会)の状態が、ほんのわずかに違うだけで、時間とともにまったく異なる未来を導くという性質を示す。

ローレンツ方程式のような非線形モデルでは、0.0001の誤差がわずか数日で結果を完全に変えてしまう。いわゆる「バタフライ効果」である。

過去に戻るとして、その瞬間に空気中の1個の分子の位置まで完全に一致させなければ、同じ未来にはならない。

だがそんな「一致」は、実現不可能どころか、意味を持たない幻想に近い。

不確定性原理と量子力学:未来は確率でしか存在しない

量子力学の不確定性原理は、粒子の「位置」と「運動量」を同時に正確に知ることはできないとする。

これは観測技術の限界ではなく、自然界の根本的な性質だ。宇宙の状態を“完全に再現する”ことそのものが、物理的に定義できないのである。

また、量子世界は確率に支配されている。

観測するまでは、電子も光子も「あらゆる可能性が重ね合わさった状態」にあり、測定の瞬間にようやく一つに決まる。

この構造が宇宙全体に広がっているならば、「やり直し」も「再現」も、確率的にしか行えない。

同じ観測者が同じ条件で行動しても、結果は毎回変わり得る。

自発的対称性の破れ:宇宙は「一度だけ」選ぶ

現代物理におけるもう一つの重要な概念が、自発的対称性の破れである。

ヒッグス機構を例に取れば、宇宙はもともと対称な状態(全方向に等しい可能性)を持っていたが、ある瞬間に一つの方向にだけ「転ぶ」ことで、質量や構造が発生した。

この「選び」は、一度きりであり、戻して同じようにやり直すことはできない。

自然は、いったん偏ったあと、それを巻き戻して同じ偏りを再現するような器用な真似をしない。

宇宙は一度限りの歴史を紡ぐ非対称な存在なのである。

「同じ未来」は原理的に戻ってこない

この三つの理論(カオス理論・量子力学・対称性の破れ)が同時に成り立っている現代宇宙において、過去に戻るたびに同じ未来へ戻る、という発想は破綻している。

戻るたびにわずかな違いが累積し、やがてまったく別の未来へと分岐していく。

時間遡行とは「分岐装置」であって、「巻き戻し装置」ではない。

『まどか☆マギカ』は、むしろ物理的に正しい

この視点から見ると、『魔法少女まどか☆マギカ』の暁美ほむらが何度時間をやり直しても、結末が少しずつ変化していく構造は、むしろ非常にリアルだ。

彼女がループしているようでいて、実際は別の世界線に分岐し続けているように見える。

この描き方は、まさにカオス理論と量子的不定性を内包している。

永劫回帰はあり得ない

哲学者ニーチェが語った「永劫回帰」…すべてが永遠に同じように繰り返されるという思想はどうか。

これは思想としての問いかけとしては強い力を持つが、現代科学の視点から見れば、成立しない。

エントロピー(乱雑さ)は常に増大し、量子ゆらぎは再現を許さず、宇宙の進化は非対称的で不可逆だ。

世界は一度きりの選択の集積であり、永劫に同じ現象が再現されるような構造は、どこにも存在しない。

やり直しのきかない世界で、私たちは何を選ぶか

占いも、予言も、未来の計算も、「同じ未来へのやり直し」も、物理学は否定する。

そしてそれは、私たちの希望を奪うのではなく、むしろ「今」という瞬間の選択に最大の重みを与える。

未来は、やり直せない。予測もできない。再現もされない。

だからこそ、今この瞬間の選択だけがすべてなのだ。

世界はやり直しを許さない。

だからこそ、私たちは本気で生きるしかない。