今日、長嶋茂雄さんが亡くなった。
私は、世代としては「王世代」に属するけれど、長嶋さんの“存在感”はやはり別格だった。
王さんは、ホームランの「数」で世界を驚かせた。
しかし、記憶に残っている王の一発は、714号、715号、755号、756号、800号……と、数字の節目ばかりだ。
完璧なフォームから放たれるそのホームランは、どれも美しいが、映像で見ただけでは判別が難しいほど、均整が取れている。
長嶋さんのホームランは違う。
一打ごとに「物語」がある。
映像とともに、感情がよみがえる。
天覧試合で、村山実から放ったサヨナラホームラン。
引退試合で左翼スタンドに吸い込まれた“最後の一本”。
444号。
ベースを踏み忘れて取り消された“幻のホームラン”もあった。
あれがなければ通算445本だったのに……という話までが、長嶋という人を象徴している。
極めつけは、王さんが権藤投手から死球を受け、病院に搬送された試合での一幕。
代わって打席に立った長嶋が、逆転のスリーランを放った。
実に爽やかな「清算」だった。
この話は後に『侍ジャイアンツ』でも、長嶋本人が“長嶋流喧嘩術”として語るエピソードに昇華されている。
私は特に、第二次政権時代の長嶋さんが好きだった。
永久欠番となっていた「背番号3」を再びまとい、グラウンドに姿を現したときの、あの空気の変わり方。
存在そのものが“物語”になっていた。
今日、訃報に接したあとの仕事は、ビジネス講座だった。
テーマはロジカルシンキング。
“定量と定性の違い”を説明する場面で、ふとこう思った。
王貞治は、「定量的な天才」だった。
長嶋茂雄は、「定性的な天才」だったのではないか。
どちらも偉大なバッターだった。
だが、その輝き方は、まったく異なっていた。
記録に残る王。
記憶に残る長嶋。
両者が同時代を生きたことは、野球界にとっても、そして私たちの世代にとっても、大きな幸福だったのだと思う。