1. 有袋類の滅亡が示す教訓

オーストラリアの有袋類は、外来種の流入によって壊滅的な打撃を受けた。ヨーロッパ人が持ち込んだ犬や猫、狐などの捕食者の影響は甚大だった。これらの外来捕食者に対して、有袋類は適応する時間を与えられず、多くの種が絶滅へと追い込まれた。

自然界には「適応できないものは淘汰される」という厳しいルールがある。しかし、ここで重要なのは、外来種の流入それ自体が問題なのではなく、「適応の時間と仕組みが与えられなかったこと」にある。

適切な環境管理がなされていれば、一部の種は共存の道を模索できたかもしれない。だが、計画なき環境変化は、圧倒的なスピードで生態系を破壊した。

この構造は、我々の社会にも通じるものがある。

2. 社会の急激な変化と摩擦

近年、都市部では「観光公害(オーバーツーリズム)」や「移民問題」がしばしば議論される。人の移動が容易になったことで、ある地域に大量の観光客や移民が流入し、社会の秩序や生活環境が急激に変化している。

京都やパリでは、観光客の増加により地元住民が日常生活を送ることすら困難になりつつある。住宅価格の高騰、公共交通の混雑、文化的マナーの違いなど、様々な問題が生じている。移民問題においても、文化や価値観の違いによる摩擦が、治安や社会不安を引き起こす要因となっている。

ここでも問題の本質は「外部の人々が入ってくること」そのものではない。生態系の崩壊と同様に、社会の混乱も「適応の仕組みが追いつかないこと」に起因する。

3. 排除か、適応か──社会の選択

一部では、こうした問題に対して「外国人を排除すべき」「移民を受け入れるべきではない」という極端な意見も見られる。だが、これは適切な解決策とは言えない。

すでにグローバル化した現代において、異文化の流入を完全に遮断することは現実的ではないからである。

むしろ重要なのは、「どのように管理し、適応の仕組みを作るか」という点である。

オーストラリアでは、外来種による生態系の破壊が進んだ後になって、外来捕食者の管理が本格化した。しかし、その時にはすでに多くの有袋類が絶滅していた。社会の問題も同じだ。適応の仕組みを早急に整えなければ、都市の住環境は悪化し、社会の分断は深まるばかりだ。

対策の一例として、観光客へのルール周知や規制の強化、移民に対する教育や社会統合プログラムの充実が挙げられる。オランダでは「移民の社会適応プログラム」を義務付けることで、文化摩擦を最小限に抑えている。観光都市では、観光税の導入や入場制限を行うことで、観光公害を防ぐ取り組みが進んでいる。

移民政策の成功・失敗には国ごとの対応差が大きい。カナダは厳格な選別プロセスを設けつつ、移民に対する社会適応プログラムを充実させることで、比較的安定した社会統合を実現している。フランスやドイツでは移民の流入が急激に進んだ結果、社会政策の対応が遅れ、貧困層の増加や治安悪化が深刻な問題となっている。この差はどこにあるのだろうか。

4. 未来への視点──新たな均衡を目指して

有袋類の滅亡は、無秩序な環境変化の危険性を示す象徴的な事例である。しかし、これを単なる「過去の生態系の悲劇」として片付けるべきではない。我々が直面している社会の変化もまた、同じ構造の問題を抱えている。

適応なき急激な変化は、社会に軋轢を生み、混乱を引き起こすが、適切な管理と対応を行えば、変化は危機ではなく、新たな均衡を生む契機にもなりうる。

重要なのは、変化に対して「適応する時間」と「適応のための仕組み」を整えることであろう。

外交の分野では、文化の流入を管理するための政策が国ごとに異なる。日本では観光業の発展と治安維持のバランスを取るために、ビザ規制を段階的に見直しつつ、インバウンド対策を進めている。EU諸国では、移民受け入れ国とそうでない国の間で文化適応政策の整備に差があり、その違いが治安や社会の安定度にも影響を及ぼしている。

治安維持に関しても、各国の対応が異なる。シンガポールは多数の外国人労働者を受け入れながらも、厳格な法律と監視システムによって低犯罪率を維持している。一方で、ヨーロッパの一部都市では、移民流入後の貧困層増加により犯罪率が上昇し、治安悪化が進んでいる。これは、単に移民が原因なのではなく、社会保障や教育の不備が影響しているのだ。

排斥か、適応か。

その選択は、我々自身の未来を決定することになる。

「環境の変化に適応する仕組みを整えられるかどうか」こそが、社会の持続可能性を左右する鍵となる。