1. 『パイドン』とは?

前回の『クリトン』では、ソクラテスが国家の法に従い、死刑を受け入れる姿勢を描きました。しかし、彼の物語はここで終わるわけではありません。『パイドン』は、ソクラテスの最期の時間を描いた作品であり、彼が死に直面しながらも魂の不滅について議論を交わす様子が語られます。

本来であれば、プラトンの著作を執筆順に紹介するのが本シリーズの原則ですが、『パイドン』は『弁明』『クリトン』とともに、ソクラテスの最後を描いた作品であるため、ここで扱うことにしました。これらの三作品はプラトン自身が意図した三部作ではありませんが、後世の読者にとっては、ソクラテスの信念と哲学が貫かれた一連の流れをなすものとして位置付けられています。

2. 対話の舞台と登場人物

『パイドン』の舞台は、ソクラテスが死刑執行を迎える日のアテナイの牢獄です。彼の弟子たちが集まり、死に際したソクラテスと魂の不滅について語り合います。主要な登場人物は、対話篇の名となった弟子パイドン、ピロスのエケクラテス、テーベのシミアスとケベスなどです。プラトン自身は病気のためその場にはいなかったとされ、パイドンが対話の様子をエケクラテスに語るという構成になっています。

3. 魂の不滅をめぐる四つの議論

『パイドン』では、ソクラテスが死を前にしながらも落ち着いて哲学的議論を続け、魂が不滅であることを証明しようとします。彼はこの主張を四つの議論によって展開します。

(1) 生成と消滅の循環(相互生成の理論)

ソクラテスは、生と死が相互に生じる関係にあると述べます。たとえば、目覚めが眠りから生じ、眠りが目覚めから生じるように、生と死も互いに補い合う関係にあるというのです。もし死者から新たな生者が生じなければ、この世はすぐに死者であふれてしまうことになります。このことから、魂は死後も存続し、新たな生を得ると考えられるのです。

(2) 想起説(アナムネーシス)

ソクラテスは、私たちが生まれる前から普遍的な「真理」を知っていると主張します。たとえば、私たちは生まれながらにして「完全な平等」や「正義」についての概念を持っていますが、これは経験から学んだものではなく、以前にそれを知っていたからだと考えます。つまり、魂は生まれる前にすでに存在し、知識を持っていたということになります。これが、魂の過去の存在を示す証拠だとされます。

(3) 魂の単純性と不滅

ソクラテスは、魂は単純な存在であり、物質的なもののように分解されることがないと主張します。物体は時間とともに変化し、やがて崩壊しますが、魂はそれとは異なり、変質することなく存続し続けるというのです。魂は物質とは異なる次元に属しており、肉体の死によって消滅することはないと考えられます。

(4) イデアとの関係

ソクラテスは、魂が「生の原理」であり、「生に関与するものは決して死を受け入れない」と述べます。たとえば、「火」が「熱」の本質を持ち、決して冷たくならないように、魂もまた「生」の本質を持つため、死を受け入れず不滅であると結論づけます。この議論は、のちのプラトンのイデア論とも密接に関連しています。

4. シュヴェーグラーと岩田靖夫の視点

シュヴェーグラーは、『パイドン』をプラトン哲学の重要な転換点と位置付けました。彼によれば、この作品は単なるソクラテスの死の描写ではなく、プラトンが自身の形而上学を展開する場となっており、特に魂の不滅の議論がイデア論の前提をなしていると指摘しています。

一方で、岩田靖夫は、岩波文庫版の解説において、ソクラテスの議論の論理的な脆弱さについても言及しています。特に、想起説について「魂が過去に存在していたことは示せても、未来永劫存続することまでは証明していない」と批判しています。このことから、『パイドン』の議論は厳密な論理的証明というよりも、ソクラテスが死を迎えるにあたり、魂の不滅を確信するための実践的な議論であるとも解釈できます。

5. 『クリトン』とのつながり

前回の『クリトン』では、ソクラテスが国家の法に従うことの重要性を説きました。『パイドン』では、ソクラテスが死刑を受け入れ、魂の不滅について語ることで、彼の哲学的な一貫性が示されます。国家への忠誠と魂の救済という二つのテーマが、彼の最期の時において融合しているのです。

6. 次回予告

『パイドン』で展開された魂の不滅と哲学者の死の問題は、プラトンの後の作品にも影響を与えました。次回は、プラトンの初期対話篇の一つであり、徳の本質をめぐる議論が展開される『プロタゴラス』を紹介します。ここでは、知識と徳の関係について、プロタゴラスとソクラテスが交わした白熱した議論を見ていきます。