トランプ前大統領がウクライナのゼレンスキー大統領と首脳会談を行い、緊張感の漂うやり取りがあったと報じられた。会談中には激しい応酬があり、ゼレンスキー氏が退出を命じられる場面もあったという。この一連の出来事は、トランプ氏の外交手腕に対する評価を改めて問うものとなった。
彼は「自分なら交渉できる」と主張し、停戦調停に意欲を見せてきた。しかし、具体的な解決策を提示するわけではなく、むしろ関係を悪化させるような発言が目立つ。そこで思い出されるのが、三国志の名武将(?)呂布の停戦調停のエピソードである。
呂布が買って出た停戦調停
時は196年。劉備が曹操との戦いに敗れ、小沛(しょうはい)へと追い詰められていた。曹操はこの機を逃さず、劉備を完全に滅ぼすべく軍を進める。劉備の窮地に登場したのが、当時独立勢力を築いていた呂布である。
呂布は戦いに直接加わるのではなく、「俺が仲裁するから戦いをやめろ」と介入した。曹操にとって呂布は厄介な存在だったため、これを無視するよりは一旦引くほうが得策だった。結果、戦いは一時的に止まり、呂布は「停戦をもたらした男」という立場を得た。
しかし、この調停は呂布の自己アピールに過ぎず、その後の関係構築にはつながらなかった。劉備を味方にすることもなく、曹操との信頼関係を築くわけでもなく、結果としてどちらからも見限られ、最終的には処刑されることになる。
トランプの停戦調停と呂布の共通点
今回のトランプ氏の動きには、呂布と重なる点が多い。彼は停戦調停を買って出るが、それが本当に和平につながるのかは不透明だ。ウクライナのゼレンスキー大統領との会談では、建設的な対話よりも衝突が目立ち、調停者としての立場が問われる結果となった。
呂布が「その場の停戦」を実現したものの、長期的な信頼を築けなかったように、トランプ氏もまた「交渉できる」とは言うものの、具体的な停戦策を示せていない。むしろ、発言が各国の対応を揺るがせ、調停者としての影響力は限定的なものにとどまっている。決定的な違い──呂布は一応、停戦を実現した
ただし、呂布とトランプ氏には決定的な違いがある。それは、呂布は短期的にせよ「停戦を成立させた」という事実があることだ。一方で、トランプ氏の調停は今のところ停戦どころか状況を複雑化させる要因のひとつになっている。
呂布は戦いを止めたが、トランプ氏は戦いを止められていない。この差は大きい。
歴史は繰り返すのか、それとも学ぶのか
失敗する停戦調停の多くは、以下の要素が欠けている。
- 調停者が中立でない(または信用されていない)
- 交渉の場を設定できない
- 停戦によるメリットが当事者に伝わらない
- 停戦後の安定が保証されない
- 調停者に実効力がない
トランプ氏の停戦調停が「呂布レベル」と言われるのは、このいくつかの要素が欠けているためだ。特に、「中立性の欠如」「具体的な戦略の不在」「影響力の不足」が問題視されている。
停戦調停は、単なるパフォーマンスではなく、相手にとっても「実利のある選択肢」でなければならない。その点を踏まえなければ、歴史はまた「呂布型の停戦調停」の失敗を繰り返すことになるかもしれない。
時代も状況も異なるが、「影響力を示すための停戦調停」という点では、呂布とトランプ氏には共通点がある。そして、歴史の皮肉は、呂布ですら成し遂げたことを、現代のリーダーが実現できていない点にある。
歴史は繰り返すと言われる。しかし、もし繰り返すのではなく学ぶことができるのなら、停戦調停とは一時のパフォーマンスではなく、長期的な信頼関係を築くためのものでなければならない。そうでなければ、呂布と同じ道を歩むことになるのかもしれない。