マリー・アントワネット(1755-1793)、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ(1755-1789)、そして蔦屋重三郎(1750-1797)。この三人は、フランスと日本という地理的な違いこそあれ、同じ時代を生きた人物である。特に蔦屋重三郎は、日本における出版文化を支えた重要な人物であり、彼の手によって『ベルサイユのばら』に相当する物語が生まれていたとしても、決して不思議ではない。
蔦屋重三郎は、江戸時代の出版界に革命をもたらした人物だ。黄表紙や洒落本といった娯楽性の高い書籍を手掛け、喜多川歌麿や山東京伝といった才能を発掘したことで知られる。彼の出版物は、当時の庶民の生活や風俗を映し出しながら、時には幕府の統制を巧みにかわし、江戸文化の発展に貢献した。
もし彼がフランス革命を題材にした物語を手掛けていたら、それはどのような形をとっていただろうか。江戸時代の出版形式を考えれば、いくつかの可能性が考えられる。
まず、黄表紙としての『ベルばら』である。黄表紙は、当時の世相や事件を戯画化し、軽妙な風刺を交えて庶民に広める役割を果たしていた。ヴェルサイユ宮殿の貴族社会が、江戸の豪商や武士の世界に置き換えられ、革命は「お家騒動」や「町民の一揆」として描かれるかもしれない。オスカルは剣の達人として登場し、幕府の不正を暴く義士として活躍する展開もあり得る。
次に、洒落本のスタイルをとる可能性もある。洒落本は、吉原遊郭を舞台に遊び人の世界を描いたものが多いが、ヴェルサイユの宮廷文化も、吉原の華やかさと重なる部分がある。マリー・アントワネットの優雅な生活や恋愛模様は、洒落本の題材として相応しいだろう。
あるいは、読本としての『ベルばら』も考えられる。滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』のような長編物語として描かれれば、オスカルは勧善懲悪のヒーローとなり、革命の動乱の中で正義を貫く剣士として江戸の読者の心をつかんだかもしれない。
しかし、幕府の検閲を考えれば、フランス革命という「体制転覆」の物語がそのまま許可されたかは疑問である。おそらく、直接的な政治的メッセージは避け、寓話的な表現に置き換えられていた可能性が高い。
それでも、もし蔦屋重三郎がこの物語を出版していたとしたら、それは間違いなく江戸の庶民にとって刺激的な読み物になっただろう。歴史の偶然が異なれば、『ベルサイユのばら』は現代の漫画としてではなく、江戸の黄表紙や読本として語り継がれていたかもしれないのだ。
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