『ソクラテスの弁明』でソクラテスは死刑を宣告されましたが、彼の物語はここで終わるわけではありません。プラトンの対話篇『クリトン』は、ソクラテスの死刑判決後に、友人クリトンが彼を牢獄から脱出させようとする場面が描かれています。
この対話を通じて、ソクラテスは国家の法に従う義務と、個人の倫理的選択について深く探求します。今回は『クリトン』の内容を紹介し、ソクラテスがどのようにして自己の信念を貫き、国家と個人の間の葛藤に立ち向かったのかを見ていきます。

1.ソクラテスとクリトンの対話

『クリトン』は、ソクラテスが牢獄で死刑を待っているところに、友人クリトンが訪れるシーンから始まります。クリトンはソクラテスに脱出を勧め、彼の命を救う手助けをしようとします。
彼は、ソクラテスが死ぬことで友人たちの評判が傷つくことや、ソクラテスが家族を残すことに対する罪悪感を訴え、彼を説得しようとします。

しかし、ソクラテスはクリトンの提案を冷静に拒否します。彼は国家の法に従うことが重要であり、自分の個人的な安全や利益のために法を破るべきではないと主張します。
ソクラテスは「悪法も法なり」という姿勢を取り、法そのものが不正であっても、それに従うことが市民としての義務であると説きます。


2.法と倫理の葛藤

『クリトン』の核心にあるテーマは、個人の倫理と国家への忠誠の間にある葛藤です。
ソクラテスは、たとえ国家の法が彼に不当な判決を下したとしても、自分がアテナイ市民として法に従うことが道徳的に正しいと考えました。
彼は、法を破ることは国家そのものを傷つけ、市民全体の安定と秩序を損なうことになると主張します。この点で、彼は自分の信念に忠実であり続けることを選びます。

一方で、クリトンは個人的な感情や友情の観点から、ソクラテスに逃亡を勧めます。
彼の意図はソクラテスを救うことですが、その行動が国家全体にどのような影響を与えるかを考慮していません。
この対話を通じて、ソクラテスは個人的な感情や短期的な利益ではなく、長期的な正義と善の追求が重要であることを強調します。


3.『ソクラテスの弁明』とのつながり

『ソクラテスの弁明』では、ソクラテスは死刑を恐れず、自己の信念を貫く姿勢を示しました。
彼は正義と善を追求することが人間の最大の使命であると信じ、そのためには自己犠牲もいとわないと述べました。
『クリトン』でも、ソクラテスは同じ信念を維持し、法に従うことこそが正しい行動であると強調します。

『弁明』で示されたソクラテスの死に対する姿勢は、ここでも一貫しています。
彼にとって重要なのは、結果ではなく、正しい行動をとることです。たとえその結果が死であっても、彼は正義に従うことを最優先しました。


4.『パイドン』とのつながり

『クリトン』は、ソクラテスが死を受け入れるための”哲学的な準備”とも言える作品です。
彼はこの対話を通じて、死を恐れるのではなく、正しい行動を続けることが魂の救済に繋がると説きました。
この姿勢は、次回紹介する『パイドン』における、魂の不滅と哲学者の死に関する議論に深く関係しています。『クリトン』で示された国家と個人の義務の問題は、『パイドン』における魂の問題に発展し、ソクラテスの哲学的な思想が一貫して展開されます。



『クリトン』は、ソクラテスの生涯を通じて貫かれる倫理的な一貫性を示す作品です。
彼は国家の法に従うことを選び、個人的な欲望や感情に流されることなく、正義を追求しました。この対話篇を通じて、私たちはソクラテスの哲学的な覚悟と、国家と個人の関係についての深い洞察を得ることができます。

次回は『パイドン』を取り上げ、ソクラテスの死と魂の不滅について探求します。