「言語創世の夢」、今回も、引き続き動詞について考えてみましょう。テーマは「時制」です。
調べてみたら、複雑な時間表現(時制)があるのって、西欧言語全体の特徴なんですかね。
ほんと! 英語の時制、多いですよね(@_@)
現在・過去・未来という軸以外に、進行形(進行相)、完了形(完了相)といった軸が存在し、掛け算的に時制が増えていく。
未来完了進行形…聞いただけで吐き気がしてくる(しかも、これが受動態だったりすると)_| ̄|○
ところで、英語の場合、過去形の場合、規則動詞は「-ed」をつけるのが基本ですが、未来形の場合には、助動詞くっつけて「will live」といった表現をしますよね。
そもそも、英語の基本的な時制は非過去(例:live)と過去(例:lived)の2つだけです。これはゲルマン語系言語に共通する特徴です。そのため、本来は存在しない未来を表すために、助動詞の力を借りなければならなくなるわけです。
このあたりも合理化が必要! 神としては何としても統一したいですね。
【私が神になったら】
下記二案の中から選択。
案1:未来形を過去形のように語尾の変化で表してしまう(たとえば、「-ft」をつける。「-ft」は思いつきです。futureの省略)。
【例】will live ではなく liveft で「(今後)すむつもりだ」
英語:I will live in Urawa.
俺の言語:I liveft in Urawa.
案2:過去形を語尾変化ではなく助動詞で表してしまう(たとえば、過去を表す助動詞「past」を創設する)
【例】lived ではなく past live で「(以前に)住んでいた」
英語:I lived in Urawa.
俺の言語:I past live in Urawa.
どっちがいいのだろう。助動詞で全部統一したほうが単純でいいかもしれませんね。不規則動詞の廃止どころか、動詞の変化(活用)そのものをやめていく方向。「助動詞主義」と名付けましょう(逆に、語尾を変える方法を「語尾活用主義」とでも名付けましょう)。
たとえば、英語では過去の過去を表現するのに、過去完了という完了法を使いますよね。いわゆる「大過去」という奴。
これもよくない! なんで、過去の過去を表すのに完了法を使うのか!
この点、「助動詞主義」なら、過去を表す助動詞「past」2重ねれば大過去にできます。
英語では、
I felt good because I had finished my homework.(宿題を終わらせたので、私は気分がよかった)
と書くところ、「俺の言語」では、
I past feel good because I past past finish my homework.(宿題を終わらせたので、私は気分がよかった)
と書きます(不規則動詞「feel-felt-felt」からも「解放」されています笑)。
「気分が良かった」過去よりも、もっと以前(大過去)に「宿題を終わらせた」ことがひしひしと伝わってきます。
この考え方でいえば、更に過去(大大過去)も簡単に表せます。過去を表す助動詞「past」を3重ねればよいからです。
やはり、「助動詞主義」のほうが良さそうです。
やはり、言語に自分を合わせるより、自分に合った言語を作ってしまったほうが早そうです(⇐すでに頭が壊れています)
<次回に続く>