おはようございます。
目下、博多への移動中。
新幹線の中です。

四国・中国・九州での夕方の講演の仕事というのは移動手段に悩むものです。
飛行機が一番速いのはわかっているんですが、なにせ不確定要素が大きい。

「多分行けます」

は通用しないので、飛行機ならたとえ、15:00スタートの講演であっても、前乗り(前泊)しないと落ち着きません。

朝の飛行機移動というのは(90%以上大丈夫だとは思うんですが)、とにかく落ち着かないのです。

幸い、私の家から東京駅まではドアトゥドアで45分ですから、靴を履いて50分後には東海道新幹線に乗れてしまいます。

そうなると、やはり安心感があるのは新幹線だ…ということになるわけですね。乗車時間は果てしなく長いですが、落ち着かない心理状態に比べれば、「天国と地獄」ほどの違いがあります。

さて、本日は博多でAIについての講演を行います。
対象者130人というからかなりの大会場なのでしょう。
新幹線の中で予習しつつの移動です。

資料をめくりながら気づいたことが一つ。
AIというのは、デジタル技術の集積でありながら、彼(とあえて読んでみた)やってくれることというのは、

「デジタル的なもののアナログ化だな」

ということです。

本来、デジタルというのはギザギサしたもの(1と0の集合体ですから)であり、アナログというのはなめらかなものというイメージがあります。

LPレコードからCDにかわり、音声信号も本来は連続的ななめらかなものであるはずですが、CDの中ではギザギザしたデータの塊に変換されているわけです。

ところが、AIの登場により、むしろ、ギザギザしていたものが滑らかになる時代になっている気がします。

たとえば、省電力化。
Googleが子会社のディープマインドで実現した先駆的な事例が有名ですが、会社中に数千個のセンサーをつければ、無駄な電気をきめ細かく調整することができ、なんと全社で40%の節電に成功したという話がありました。

これって、さいたま市内全域を「いっせいのせ!」で停電させてしまった「計画停電」とは真逆の発想ですよね。

「電力が足りない」→「細かい調整は無理だから、いっせいのせで、しばらく全部停電してもらおう」

というのは、実はデジタルですよね(さいたま市内全体で「1」から「0」にされたわけです)。震災後のやむを得ない措置とはいえ、相当にアバウトな施策だったと思います。

その後急速に発展してきたAIやIоTの力を借りれば、もっともっときめ細かい「なめらかな」対応が可能なのでしょうね。

今や、あらゆる分野で広がるAIの活用。
AIやIоTはギザギザしたデジタルの技術を使いながら、現実世界におけるギザギザした状態を滑らかに変えてくれるという点は、実におもしろいですね。