この半年間、さまざまな方とAIやIoTについて情報交換してきました。
「いろいろ本は読んだが、結局のところ、文系の人間には理解できない」
「なんとなくわかるが、なんとなくわからない」
「機械学習の概念がよくわからない」
「ディープラーニングってそんなにすごいの」
「シンギュラリティは来るのか? 来ないのか??」
酒の席でも、議論すると盛り上がりますね。
しかも、日進月歩。
次々と新しい概念・商品・サービスが登場し、飽くことのない雑談テーマです。
果たして、現在のところ、AIというのはどういうふうに理解しておけばいいのか。
私なりの見解をまとめておきたいと思います。
1. 人工知能研究の歴史とシンギュラリティ
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人工知能の入門書を読むと、最初に語られるのが、「歴史」です。
何冊か読むと、一時的に、人工知能の歴史だけは詳しくなることができます。
入門書を手に取り、人工知能研究の歴史を紐解いていくと、過去に2回のブームがあり、今回が3度目のブームであることがわかります。
過去2回のブームでは、いずれの場合も、期待値のわりに、理想的なAIとは程遠いレベルのものにとどまったため、失望感が大きく、研究者の多くは、精神的に大きなダメージを受けたようです。
指導者の先生や同業者(研究者)から「穀潰し!」のような言われ方をした方も多かったようです。
(1) 第1次AIブームの盛衰
まず、1950年代にダーマラス会議という会議の中で「人工知能」という言葉が初めて使われます。
ダーマラス会議には、私でも名前を知っているような著名な研究者が参加し、来るべきAIの未来について語られました。
第1次AIブームの到来です。
当時は、世の中の現象は、とにかく細かく場合分けしていけば、コンピュータは意思決定できると考えられていました。
これを、専門家は、「推論と探索」と読んでいます。
しかし、研究をすすめると、あッと言う間に壁にぶち当たります。
現実の世界は、数学の教科書や、コンピュータゲームのように、きっちりとした場合分けをできないことのほうがむしろ「普通」であり、コンピューターによる「推論と探索」が可能な範囲は極めて狭い領域であることが判明してしまったのです。
テレビ番組でやっているような「はじめてのおつかい」すら、当時の(今もかもしれませんが)コンピュータには不可能だったのです。
家を一歩出たところから(出る前からともいえますが)、状況を場合分けしようとすると、その数は無限に地殻存在しますからね。
「雨が降ったら」
「段差があったら」
「ドアが壊れていたら」
「人とぶつかったら」
「夜だったら」
「定休日だったら」
「商品がなかったら」
「店員が金額を打ち間違えたら」
…これらに対する対応を全部場合分けして、AIに事前にプログラムしておくことなど、素人の私にも不可能だろうなということはわかります。
しかも、この状況は刻々と変化するものですし…
というわけで、この時代の「推論と探索」という方針では、実用的なレベルのAIは実現しませんでした。
簡単な数学上の証明を行ったり、パズルを解いたりすることくらいしかできなかったわけです。
コンピュータは、箱庭のような領域におけるおもちゃのような問題にしか使えない…この問題が「トイ・プロブレム問題」と言われる所以です。
この後、長らく、AI研究は「冬の時代」を迎えます。
(2) 第2次AIブームとその副産物
次に2回目のブームがやってきます。私がちょうど学生の頃です。
この時代のコンセプトは「知識」です。
専門家の知識をとにかくコンピュータにインプットしていけば、コンピュータはいろいろなことを意思決定できるようになるだろう…というような研究だったようです。
我が国の政府も大きな予算をつけ、「第5次コンピュータプロジェクト」がスタートします。1982年〜92年の10年間です。「第5次」とありますから、それまでにも4つのプロジェクトが走っていたことになります。
ちなみに、この第5次プロジェクトで目標とされたAIは、現在の私達が思い描いているAIに近いものであったようで、当時の担当者たちの先見性の高さを評価する専門家も多数います。
「目標」…すなわち、目指すべき、AIの「方向性」は間違っていなかったようなのです。
しかし、それを実現するための手段がありませんでした。
当時のコンピュータの演算速度はおそすぎて、今でいうところのデジカメ写真1枚の処理すら全然できなかったわけです。
動画だの言語だのの処理をすることなど、夢のまた夢だったのです。
ちょうど、レオナルド・ダ・ビンチが飛行機の設計図を残していますが、ルネサンス当時のイタリアには「エンジン」が存在しませんでしたから、彼の飛行機は実現することはありませんでした。
これとよく似ている現象です。
つまり、「方向性」はよかったのですが、「距離」が遠すぎる目標だったようです。
とてつもない予算がつぎ込まれたにもかかわらず、理想のAIは実現せず、関係者はこぞって、さきほどの「穀潰し」的な非難を受けることになったのでしょう。
私の友人は、第2次AIブームの頃、学生として、音声データの認識の研究に従事していました。
残念ながら、現在私達がアップルのSiriやGoogleのサービスで利用しているレベルには、とても到達できなかったそうです。
しかし、この当時に研究が、現在の音声データの認識技術の基礎になっていっるそうです。
つまり、第2次AIブームは無駄だったわけではないのです。
遠すぎる目標(理想のAI)を開発することはできませんでしたが、たくさんの副産物が生まれています。
たとえば、私たちが、普段、ワープロで日本語の文章を書こうとした場合、必ずお世話になるのが「漢字変換」です。
漢字変換の機能は、ワープロ専用機の時代を含め、この30年くらいの間に、飛躍的に向上しました。
これこそ、AI研究の副産物の代表例なのです。
(3) 第3次AIブームの到来
話を戻しましょう。
というわけで、この1980年代の第2次AIブームもまた、目標は達成されず、失望感が広がり、またまた、冬の時代を迎えるわけです。
ところが、2000年代に入り、AI研究は再び脚光を浴びることになります。
契機となったのは、ディープラーニングという概念の登場です。
Googleは2012年に、ネコを認識する人工知能(AI)を開発した…と発表しました。
1,000万枚のネコの画像(実際にはYouTubeの動画映像)を見せられたコンピューターは、人間に教えられなくても、ネコの特徴をつかむことに成功したのです
AI自身が、
「この写真には猫が写っている」
ということを、人間が教えなくても認識できるようになったということです(ややこしいですが、「猫」という言葉(記号)自体は人間が教えてあげなければなりませんが、「(名前はわからないが)猫らしきもの」が写っていることがわかるようになったということです)。
「猫が判別できたことがなぜそんなにすごいのか」
…と思われるかもしれませんが、この一歩、実は「偉大な一歩」なのです。
私はディープラーニングの話を初めて聞き知ったとき、ヘレン・ケラーを思い出しました。
視覚と聴覚の重複障害者(盲ろう者)でありながらも世界各地を歴訪し、障害者の教育・福祉の発展に尽くしたヘレン・ケラーの伝記(『奇跡の人』;ちなみに、「奇跡の人」とは、ヘレンのことではなく、彼女の師サリバンのことです)を思い出したのです。
ヘレンの師サリバンは、あらゆる手段を講じて、ヘレンに
「物には名前があること」
を伝えようと試みます(が、ことごとく失敗します)。
しかし、「その時」は突然やってきます。
サリバンが、ヘレンと散歩中に井戸へ寄ったとき、ヘレンの手に水を注ぎながら「w-a-t-e-r」と指文字(指話法)で何度も綴っていると、突如としてヘレンは「言葉とモノ」とを結びつけ、
「すべての物に名前があることに気づいた」
…のです!
ヘレンは優秀な子供でしたから、
「モノには名前があるんだ」
ということ「さえ」を知ってしまえば、後は勉強にのめり込み、芋づる式に、世の中のさまざまな概念を理解し、加速度的にいろいろな知識を吸収していったといいます。
「ヘレンが流れる水に触れながら、それが「w-a-t-e-r」であることを理解したこと」
は、小さな一歩ですが、偉大な一歩ですよね。
AIが、「猫が判別できたこと」も、同じように偉大な一歩なのです。
人間がいちいち、
「これは猫」
「これは犬」
…と教え続けなくても、自発的に判断ができるようになったことで、今後、飛躍的にAIは発達するだろうという予想をする研究者が多数いるということです。
(4) シンギュラリティを巡る水掛け論
向こう数十年の間に、AIが人間を超える存在になるという学説(このような現象を「シンギュラリティ」といいます)を信じている方々は、その最右翼でしょう。
彼らは、AIがヘレンのように加速度的にいろいろなことを学び、進化するのではないかと期待しているわけです。
一方で、まだまだ大きな壁があり、そう簡単にシンギュラリティは実現しないだろうと予測する研究者もいます。どちらかというと、私はこちらの意見に賛成です。
このように、AIの専門家の間でも、このシンギュラリティが起こるのか否か、あるいは、起こるとすればそれはいつごろなのか…という予想については、意見が別れています。
ITに詳しいコンサルタント仲間とも。このシンギュラリティ問題は議論になりますが、皆さん、意見はバラバラですね。
果たしてどうなるのかは、今後の研究結果を見ていくしかなさそうです。
<次回に続く>