偏在じゃあなくて、遍在のほうです。

ユビキタスのほうです。

明日・明後日と、クライアントのマネジャーの皆さんと缶詰合宿研修なのですが、その事前課題図書を読み返していて、なるほどと思ったのが、この点。

たとえば、自転車に乗れるようになったのは、父母のおかげだったりしますし、不登校から立ち直ったのは担任の先生の一言だったりしますよね。

新製品のアイディアがポンとでたのは、課長にご馳走になった晩酌の場だったり、新規顧客が獲得できたのは、先輩の励ましの一言だったりする…

父母に教師。
酔っ払った課長に、ちょっと年上の先輩。

彼らは必ずしも高度なリーダーシップ理論の実践者でもなければ、研究者でもなかったわけです。

にもかかわらず、結果として、その場その場において、フォロワーをリードし、適切なリーダーシップを発揮していたことになります。

つまり。
リーダーシップというものは、特殊な能力ではなく、世の中のどこにでも散らばっている=遍在性の高い能力なのです。

顕在化・明在化されていなくてもいい、いや、むしろ、潜在的・暗黙的な存在の方がよいのかもしれません。

統計をとったわけではないですが、人生の中で、私が受信したリーダーシップの8割は、暗黙的リーダーシップだったのではないかと思うのです。

顕在2割、暗黙8割。

ですから、

「彼は優れたリーダーシップを発揮しています」

といったよくある評価的な表現は、2割に過ぎない顕在型リーダーシップについてのみ語られている情報に過ぎないのかもしれません。

世の中全体のリーダーシップの2割に過ぎない顕在型リーダーシップの是非に目を向けるのではなく、組織内のそこここに遍在する、そして、世の中のリーダーシップ全体の8割を占める暗黙的リーダーシップの底上げに磨きをかける方がずっと効率的なのかもしれませんね。

今世紀初頭において、リーダーシップの世界的権威である「ザ・センター・フォー・クリエイティブ・リーダーシップ(CCL)」が、

「今日では、リーダーシップは、個人能力ではなく、組織能力である」

と、定義した理由もわかる気がします。

リーダーシップは、一部の天才、エリートやカリスマ、企業のトップやマネジャーだけが保有しうる特殊能力ではなく、市井の誰もが持っている普通の能力なのでしょうな。

そうえば、田中芳樹の『銀河英雄伝説』で、ヤン・ウェンリーが

「英雄など、酒場に行けばいくらでもいる。その反対に、歯医者の治療台にはひとりもいない。まあその程度のものだろう」

と言っていたのを思い出しました。

ううむ。
なるほど。
リーダーシップは「歯医者の治療台」にも遍在するのか…
こりゃ、研究が必要ですな(^^)