勝つことによって、自らの力を証明したいという気持ちは権力争いにつながります。
アドラーは、人は正しいのだと革新した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れていると述べています。
私は正しいという確信が、この人は間違っているという思い込みにつながるということですね。
この人は間違っているという思い込みが、私は勝たねばならないという思い込みにつながっていくわけです。
本来、主張の正しさは勝ち負けとは関係なく、自分が正しいと思うなら、他の人がどんな意見を持っていても、そこで完結すべきことです。
誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること等は、いずれも「負け」にはならないはずです。
すなわち、優越性の追求は他者と行うものではないということなのですよね。
これも頭が痛い笑
議論して相手を論破することに快感を感じたこと…私の場合、一度や二度ではありません。
歳を重ねてからは、少し自重するようになりましたが、若い頃…というか、つい最近まで、「優越性の追求は他者と行う」ことにしゃかりきになっていた自分が恥ずかしいです。