いろいろなところで注目を集めるシェアリング・エコノミー。
アメリカのウーバー、エアビーアンドビーの話はいろいろ耳にしますし、中国の滴滴の噂も話題に昇るようになりました。
国内でも、家事代行や駐車場予約、スペースマネージメント、カーシェアリング、時間の切り売り的ビジネス等、関連ビジネスが次々と生まれています。
ただ、それらの歩みは、シェアリング先進国と比べると、ちょっとゆっくり目な感じもします。
今後、わが国のシェアリング・エコノミーはどう発展していくのでしょうか。
あるいは、開花することなく、一時的なブームで終わるのでしょうか。
シェアリング・エコノミーがゆるゆると進むであろうとする「漸進的全体普及説」と、一部の人達だけへの普及に留まる「急進的部分普及説」という2つのシナリオを考えてみました。
1.漸進的全体普及説
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「シェアリング」「シェアリング」と騒ぐことはない。世の中の動きはゆっくりと、ただし、自然と、定まるべき方向へと定まっていく。
今から数年前、「スマホは世の中を変えるか?」「いや、スマホなんか不要。ガラケーで十分」という議論が、いろいろなところで展開されたが、いつの間にか「スマホ」はごくありふれた日常生活の一部になってしまった。これと同じ道をたどるのではないだろうか。
目くじら立てて、必死になって、国を挙げて推進しなくても、自然と、シェアリングが当たり前の時代がやってくる。
「少子高齢化」はそれを2つの側面から後押しする。
「少子化」は、物理的に裕福な子供を生み出し、いずれ、所有欲ではなく、使用欲・経験欲が中心となる文化が形成され、一定以上のモノは不要になっていく。
「高齢化」は、人生における高齢期が相対的に長くなる社会の到来を意味するが、若年者に比べれば、年長者は、「欲」が小さくなる(所有欲に限らず)だろうから、相対的に欲の小さい人たちが社会に蔓延すれば、これまた、一定以上のモノは不要になっていく。
世界的に見ても、人口の都市への集中化が予想されており、都市では「カネ」と「モノ」はあふれるが、「場所」が足りないという状態は(人口減少時代であるにも拘らず)、加速する。あふれかえった「カネ」と「モノ」は当然シェアされる一方で、人口過密化による場所不足を補うためにも、少しでも遊んでいる「場所」は積極的に貸し借りすることが、「常識」になっていく。
IOTの発展、センサー社会の到来で、ヒト・モノ・カネ・情報がいつどこでどれくらい余っているかが、分刻み・秒刻みでわかる社会が間もなく到来するだろうから、それをもって、シェアリング・エコノミーはゆるゆると進むに違いない。
国民皆ミニマリスト…30年以内にそんな時代が到来するのだろう。
自家用車の写真や家にものが溢れかえっているリビングの写真などが、教科書(これもシェアする時代になっているだろうけれど)に掲載され、子どもたちは奇異な目でその写真を見るのだろう。
このように、わが国では、今後、シェアリング・エコノミーは、ゆっくりと国民全体に(ごく自然に、なすがままに)普及していくであろう。
2.部分的普及説
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識者たちが大騒ぎするほど、わが国では、シェアリングは普及しない。
アメリカのようにはならないと予想する。
最大の理由は法文化の違い。
シェアリングが普及するかどうかは、その国の国民が、規制緩和に対する「戦い」にどこまで本腰を入れるかによって変わってくる。
アメリカのような英米法の国は、まず世の中の現実に目を向け、現実が変われば法規制をそれにあった形に変えていくという文化が根底にある。法律のほうが後付だから、規制緩和に対して、柔軟に対応できる。
日本のような大陸法の国は、先に法律による規制が成文法化され、世の中の人々がそれに追随し、社会を変えていくというスタイルが根付いている。法律のほうが先行するから、規制緩和はなかなか実現しない。規制緩和と戦おうとしても「現行法のもとでは無理だよ」と諦めてしまいがち。
この違いは、間接的にリスクに対する対処法の違いをも引き起こす。
たとえば、銃規制問題。
「銃は悪いものだ」と世界中の人が思っていても、アメリカは、個人の自由を尊重する。「自分の身は自分で守れ」の精神。
シェアリング・エコノミーについても根本の考えは一緒。規制緩和され、自由化された場合、その反動で、さまざまなリスクが生じるが、「自分の身は自分で守れ」の精神が当たり前の国なので、さして問題にならない。
これに対して、日本はどうか?
「民泊? 怖いよ。部屋からものがなくなったらどうしようとか考えちゃう」
「白タク? 素性の分からない人に運転してもらうのは嫌だなあ。怖いよ」
別にこれが悪いと申し上げているのではない。日本人は慎重なのだ。
1億人全員が慎重だとすれば、低価格で時間に縛られずに自由に利用できるシェアリング・エコノミー型のサービスを、利用してみたい気持ちはあっても、「自分の身は自分で守れ」に馴染めず、利用を諦めてしまいがちである。
国民全体の文化を変えるのは難しい。
よって、シェアリング・エコノミーは、自己責任を躊躇なく受け入れられる開放的な一部の国民の間では、今後、急速に普及すると予想する。
しかし、英米法的な文化に馴染めない大半の国民への普及は実現しない。
まあ、プロ野球開幕前の評論家の予想以下の内容だが、どっちに転んでもおかしくない気がします。
さすがに、「急進的全体普及」はないと思うのですがね(*^^*)
一人の国民として、見守っていきたいですね。