先日のビジネス雑談サロンでは、埼玉大学教育学部副学部長の細渕教授をお招きし、

「ICT時代の人材教育・能力開発」

と題して、12名のメンバーで雑談を楽しみました。

話題は多岐に及びましたが、概ね、こんな情報交換ができました。

① 大企業の社員教育においては、ICTはかなり積極的に活用されている。単なる知識伝達(財務・法務・英語等)においては、ICTは大活躍。動画も活用されている。しくみだけ作って、後は「やらない奴が悪い」という一種の放任主義がとられている。
② 一方、同じ大企業でも、営業やマネジメント、海外での経験などについては、かなり時間をかけたOJTが計画されている場合が多い。半年、1年、2年といった教育プログラムを持つ会社も少なくない。
③ エリート育成のための手法は①②のとおりだが、コールセンターなどで働くパート・アルバイトの教育研修手法は、大きく異なる。可能な限り、手間暇をかけずに、やる気を引き出しながら、効果を上げる方法が模索されている。
④ たとえば、アプリを使った方法。笑顔が出ない担当者向けに、笑顔チェックできるアプリを自社開発し、それを使って教育をしている。動画教材を作る手間暇を考慮し、読み上げアプリを活用して、従業員向け教材を作成しているという事例もあがった。
⑤ ゆとり教育の対局にある詰め込み教育の是非についても議論があった。国や企業の競争優位を高めるためには、徹底した詰め込み教育と競争の原理が必要だという主張もあった。
⑥ 一方、一定の知識教育は必要だが、上を伸ばすよりも、当たり前のことができるようにしてから社会に出すことこそ重要であるという意見もあった。基本的な数学やマナーが欠如したまま、社会に出てくる人が多いのは問題があるというものである。
⑦ そこから派生し、経済産業省の進める「社会人基礎力」(http://www.meti.go.jp/policy/kisoryoku/)がテーマになった。文科省ではなく、経産省がこのような取り組みをしていることは新鮮。一方で、「スーパーマンのような社会人ではなく、とにかく、挨拶等極基礎的なことができる社会人であれば十分ではないか」という意見も飛び出した。
⑧ 大学における教育学部、つまり、教員育成についての現状についても情報交換が行われた。教育学部に入ってくる学生が最終的に教員になる者が思った以上に少ないことには、メンバーのほとんどが目を丸くした。
⑨ 教員になってもすぐにやめる者が多い。そのほとんどは「教える力」に限界を感じるからではなく、親を始めとする多くの利害関係者との煩わしい人間関係に嫌気がさすというものであった。
⑩ 教育学部の教員の大半は、あくまでも研究者、教育学の専門化であって、学校教育の経験者ではないという問題も指摘された。民間の力だけではなく、学校教育の経験者がもっと大学の教育学部の教員として採用されるべきではないかという意見も飛び出した。

さてさて。
①〜⑧もおもしろかったのですが、私が一番興味をもったのは、⑨⑩あたりの話題でした。

「このままでは学校の先生がいなくなる時代が来るのではないか」

と思うと、ぞっとしました。

大学の教育学部を卒業し、教員試験に合格すれば、そのまま、小中学校の教員として採用されます。
副担任を1〜2年やったら、次の年には、クラス担任。
そうなると、小学校の校長や教頭といえど、そうそう、クラス運営にクチは出せません。非常に大きな裁量が各先生に与えられるわけです。
雑誌社で言えば、編集長のような立場です。雑誌社では、役員といえど、編集にはクチが出せません。編集長の裁量はとても大きいと言いますからね。

40人学級の担任となったとしましょう。
そうなると、40人の子どもとの人間関係だけでなく、間接的には80人の父母との人間関係ももれなくついてきます。

いわば、20大前半の若者が、ろくな経験もないまま、

「合計120人の顧客を任された営業マン」

のような立場に置かれてしまうわけです。
普通の会社では、もうちょっと段階を経て、一定の顧客を任されます。
上司が同行したり、人数は少なめに設定されたりするのが、普通です。

しかし、日本の小中学校では、20代前半で、いきなり、ぽん!と

「合計120人の顧客を任された営業マン」

にさせられてしまうわけです。

ごくごく当たり前だと思っていたこの社会システムこそ、とてつもない非常識的なしくみなのです。

若い教師が強烈な孤独感にさいなまれるのは当たり前でしょう。

最初の保護者会で

「お前みたいな若造にうちの大切な息子を預けられるか」

罵倒されても、平然とできる教師ばかりではないでしょう。
営業現場で同様なことを言われれば、動揺して、あたふたしてしまう若手営業マンのほうが普通でしょう。

最近の学校では、副担任制度が充実していますから、1つの学級でも、形式的には複数の教師で運営しています。しかし、実態は、あくまでも、担任1人制と変わりません。一般的には、副担任はお飾りです。

モンスターペアレントといってしまうと陳腐ですが、今の親はてごわい。私の友人の中にも、

「お、この人、たぶん、モンスターペアレントだろうなあ。この人の子供の担任じゃあなくてよかった」

と思う人は、普通に「山のように」います。

昔から「恋は盲目」といいますが、今の親は(私を含めて)、「教育は盲目」の時代!笑
客観的に自分の子供を眺めることが多すぎますからね。
主観の塊。自分の子供さえよければ構わないという部分最適の守護者
魚をつってあげる事はしても、魚の取り方は教えてあげない即時主義の権化
溺愛は得意だが人生は語らないという短絡的思考の持ち主
私も、私の友人たちも含めて、なかなか及第点をとれる親はいませんね。

にもかかわらず、相対的に親が偉くなったのですよね。
高学歴になり、インターネットでさまざまな情報を瞬時に検索できる親ばかり。
「先生(教師)」の威厳は相対的に小さくなって当然です。

昔は、学校の先生といえば、

「町の名士」

だったはずです。インテリの代表
親の知識ではとても、インテリ代表の先生には太刀打ちできなかった。

しかし、今や、そうではありません。
教師以上のインテリの親御さんがどこの町にもあふれています。

これでは、

「羊に猛獣の群れを率いてみろ」

といっているようなものです。

この状況に対し、学校側もさまざまな手を打っているのでしょうが、なかなか有効には機能していないのでしょうね。

雑サロの議論をファシリテートしながら、私もいろいろなことを考えさせれました。

で、1つひらめいたのは、

「だったら、そういう親たちをもっと活用すべきではないか」

という点でした。

たとえば、過去数年間、モンスターペアレントではあったのだが、その後、学校と和解し、現在の学校教育の問題や若い教師が苦しんでいることをしっかりと認識してくれた親(「モンスターペアレントOB」と呼びましょう)の力を借りてみてはどうでしょうか。

彼らは、学校教育のダメな部分や教師の限界、今時の親たちの主張をよく知っていますし、それを自分たちが学校や教師とぶつかりながらどう理解したり、納得したかというプロセスを経験しています。

それを、次の世代の親たちに伝えてもらう機会を設けてはどうでしょうか。

具体的にはこうです。

① 学校がモンスターペアレントOBを組織化し、一定の教育を施す。
② クラス運営には、担任教師・副担任教師の他に、保護者調整役として、モンスターペアレントOBに就任してもらう。
③ 担任・副担任は子どもたちに「教えること」に専念してもらい、口うるさい保護者への担当は、保護者調整役が一手に引き受け、問題解決にあたる。
④ 担任・副担任・保護者調整役が話し合いながら、学級全体の運営にあたる。

こんな流れです。

子供への教育と保護者調整の分業化。いわば、

「教調分業」

です。

「モンスターペアレントOB」の活用という発想の源流は、池波正太郎の『鬼平犯科帳』にあります。

火付盗賊改方の長官・長谷川平蔵は、若い時分に随分と悪いことをやってきた人物です。

「悪を知らずして、悪を取り締まれるか!」

というのが、彼の強みであり、だからこそ、高い検挙率を誇ることができたわけです。

教育の現場もいっしょです。

「モンスターペアレントOB」を児童・生徒の卒業とともに終わらせてしまってはもったいないです。
こういう「経験者」の持つ知識と経験を、教育の現場で活かすべきではないかと思います。

「民間の活用」

というと、

① 民間企業の経営者が校長先生に就任する
② 民間企業の関係者が一部講義を担当する

といった方法ばかりがクローズアップされますが、私は

「それだけじゃないんじゃないか?」

と思います。

さきほどの「モンスターペアレントOB」を学校で採用するという方法はやや行き過ぎたアイディアです。
しかし、毎年の新入生の保護者会に、あるいは、保護者総会に、モンスターペアレントOBの方々に来ていただき、

「いやいや、お母さんがたのご意見は私達もわかりますがね、学校側にもこういう事情があるんですよ。ですからね、折衷案として◯◯◯してはどうですか? 私達も随分と学校とぶつかりながら、こんな結論になったんですよ」

と、話してもらうだけでも、校長や教頭が汗をハンカチでふきながら、

「誠に遺憾に感じております。学校としても善処し、再発防止策を講じる所存であります」

と頭を下げるよりも、はるかに説得力があると思います。

小児科における医療訴訟がブームとなり、何でもかんでも訴訟にするのが当たり前になったため、小児科になりたがる医師が少なくなりました。そのため、出産したくても、医師がいない…という社会問題が起きました。
社会全体が「近視眼的マーケティング(マーケティング・マイオピア)」に陥ると、社会はどんどん弱体化していきます。
いつの世も、即時的・短期的・短絡的な問題解決は社会をダメにするのです。
小児科業界で起きた現象を学校教育の現場で再現する愚は犯したくないものです。

「モンスターペアレントOB」の活用は、私がよくお話している「猫の手環境の活用(猫の手戦略)」の1つです。
しかも、「モンスターペアレントOB」は、わが国に無尽蔵に存在する資源です(しかも、毎年、黙っていても新たに生成されるのですからね。すごいですよ)。
使わないのは、もったいないと思うのですが。

あ、私もその一人か。
母校の「後輩モンスターペアレント」へのアドバイスくらい、勝手でなきゃあいけないかなあ。
誰でもできる地域貢献の1つですよね。

お、この考え方は、うまく活用すると、社会人教育の世界でも使えるかもしれないなあ。
GWにもう少し考えてみよう。