今日は午前中から打ち合わせ。
午後もクライアント企業で、セルフ・ブランド・マネジメントについて盛り上がってしまった。

どのような自己紹介が最も価値があるか…を追求していらしゃる企業。
私がセルフ・ブランド・マネジメントだの、不敗のエレベーター・トークだのと申し上げるはるか以前より、自己紹介を科学することに重きをおいていらっしゃる企業だったからである。

4月に2日間かけて、自己紹介をメインテーマで研修させていただくことになったのだが、またまた大変楽しみな研修である。

 

奇しくも、今週は、セルフ・ブランド・マネジメント週間(勝手に笑)!

今日は、セルフ・ブランド・マネジメントにおける「中核的自己の形成」について、少し掘り下げて考えてみたいと思う。

 

1.セルフ・ブランド・マネジメントにおける必要的補助輪

セルフ・ブランド・マネジメントを考える上で大切なのは、お金よりも友達である。

特に自らのセルフ・ブランド・マネジメントについてのある程度のプランができている方の場合、親しい友人の意見やアドバイスにまさるコンサルティングはあるまい。

今週、私は3人の方にアドバイスをしたが、1人が仕事上のパートナー、もうお2人は今のところほぼ完全な友人である(今後、パートナーになるかもしれないが、いまのところ、パートナー候補者である)。

中小企業診断士の受験対策講座におけるカウンセリングであれば、初対面の方であっても可能であろうが、セルフ・ブランド・マネジメントに関するカウンセリングは、その方をよく知っていなければ、どうすることもできない。

友達でなければ、手助けできないのだ。

また、まるっきり一からセルフ・ブランド・マネジメントの設計を委託されるような相談もお断りである。
当たり前である。
それでは、「セルフ」にならないからだ。

覚悟のない方のご相談もお断りである。
セルフ・ブランド・マネジメントは大きなリスクを伴う。
「あれもこれも」することはできない。
中核的自己の形成の基本戦略は「集中」しかないのだ。

「あれもこれも」やりますというセルフ・ブランド・マネジメントは存在しないのだ。

「あれもこれもやるのが自分の個性です」

というのは、結果の話である。
セルフ・ブランド・マネジメントが一定の段階に入り、大きな重力を持ち、ブラックホール効果が得られた場合の結果である。

「一点集中」でセリフ・ブランド・マネジメントを徹底追及するからこそ、いわば、ついで的に、「あれもこれも」仕事が入ってくるのである。

そのことを多くの方が

「総論(一般論)として理解していながら」

「各論(その方ご自身に当てはめた場合の理論)としては理解できていない」

のではないかと思う。

相談にお越しになる方の悩みが驚くほど似ているから、仮に私が担当したセルフ・ブランド・マネジメントに関するカウンセリング・シーンをすべてビデオに撮っておいたとして(むろん、実際には撮影していません。お越しになったかたはご安心を笑)、それをご覧になった方はさぞ驚かれることと思う。

誤解のないように申し上げるが、ご本人が悪いのではない

セルフ・ブランド・マネジメントを追求しているご本人は、野球のバッター、テニスのプレイヤーのようなもの。
必ず、外から客観的にフォーム・チェックしてくれる人が必要なのだろう。

マス広告やダイレクト・メール、足を使った通常の営業ではなく、SNSをフルに活用した人脈形成によるセルフ・ブランド・マネジメントにトライしてきた私の場合、Facebook上の友人たちが、その役割を担ってくださった。
例の火曜日開催の「ビジネス雑談サロン」の常連諸氏は、「私の家庭教師である」と常々お話してきたが、皆さんがフォーム・チェッカーの役割を果たしてくださったのである。

もう一度申し上げる。
ご本人が悪いのではない。

私を含む多くの方が同じ課題をもっていらっしゃるのだろう。
自分の顔を絶対に自分の目で見ることができないのと同様に、外界と遮断された環境で、セルフ・ブランド・マネジメントを追求していくことは、本質的に不可能なのだ。

2.圧倒的情報創造の必要性

話を元に戻そう。
「あれもこれも」という中核的自己の形成というのは、少なくとも、これからセルフ・ブランド・マネジメントを始めようとしている方にとっては、避けるべき方針であろう。

中核的自己の形成で重要なのは、ある特定分野における圧倒的な知識と情報、経験と実績である。

私が30代、なぜ、「おいしそうな仕事」をほとんど避けて、中小企業診断士の受験対策講座に専念してきたのか。

いろいろな理由があるが、そのうちの1つは、それが最もマーケティング戦略上有効だったからである。
その業界における第一人者になったほうが、多くの人の記憶に残るからである。
指名購買機会が増えるからである。
イアハート効果が発生するからである。

先日、ある方にお話したのが、

「あなたの得意とする分野について、A4判で600ページくらいの情報があれば、まずはスタート地点としては合格ではないか」

というメド値である。

他人の受け売りだとか、インターネットのコピペで600ページという意味ではない。
全部、オリジナル。
自分の知識と経験、自ら取材したり調べたりした情報を自分の言葉にしたつもりで、600ページ。
経験が少ない分野であれば、圧倒的な勉強によって知識を得て、補うしかない。

何を聞かれても分かる状態。

「◯◯オタク」

をめざすという意味である。

600ページというには、いい加減な数字ではない。

600ページのうち、最初の概論200ページは一冊のテキストが書けるというレベル。
当該分野において、

『早わかり! ◯◯入門』

的な書籍が書けるレベルのための知識である。

残りの400ページは、それについての講演やセミナーの依頼が来た時の

「持ちネタ」

であり、顧客が訪ねてきた時の営業用の情報であり、相談を受けた時の回答のためのデータである。

「とっておきの情報」

である。

むろん、そのうちの200ページを2冊めの書籍として世の中にリリースしてしまっても構わない。
ただし、そうなれば、またまた200ページ分のインプットをしなければならなくなる。

常にインプット(情報収集・経験・勉強)とアウトプット(情報の公開、リリース)のバランスを考えなければならない。

3.ブルー・オーシャン創造戦略

ある特定分野において、600ページ分のオリジナル情報を持っている同業者がそばにいたら、私は少なくともその分野における

「競争回避」

を考えるだろう。

もちろん。こちとら15年選手。
手を変え品を変えいろいろやれば、勝てるかもしれない。
2年くらいその分野について圧倒的な後追い勉強をすれば、勝てるかもしれない。
が、あまりにも投資効率が悪い
だから、

「競争回避」

を考えるのだ。

ガラガラヘビが「ガラガラ」と音を立てるのは、威嚇の意味があるそうだ。

「ガラガラいっているのは、ここにガラガラヘビたる僕がいるという証拠だよ。無用な殺生はしたくないので、できれば、僕を避けて通ってね」

という競争回避を促すサインなのだろう。
なるほど、確かにそのとおりだ。餌をとることが目的で噛み付くなら、わざわざ音をだす必要はないのだ。

セルフ・ブランド・マネジメントにおいても、ガラガラヘビに見習おうではないか。

「私はこの分野において、600ページ分のオリジナル情報を持っているんだ。無用な競争はしたくないので、できれば、私を避けて通ってね」

ということである。

A4判600ページの資料(文字はびっしりと仮定する)をすべて講義したらどれくらいの時間になるだろうか。
1ページ10分かかるとして、6ページで1時間。
つまり、600ページで100時間分である。

1日6時間の講義100日分。
1回2時間の講演300回分。

けっこうな分量である(もちろん、実際には、すべての内容を人前で話す必要はないだろうが、概ね、それくらいの知識があるかどうかと考えていただきたい)。

だからこそ、誰も競争参入しようとしなくなる。競争回避したがるのである。

「そこまで積み上がるのは難しい」
「自分にはできそうもない」
「厳しいことを言うなあ」 

と諦めてしまう前に、もう一度考えてみよう。

およそ、知的なビジネスにおいては、「考える」ことによって生み出される知的財産が最大の経営資源になる。セルフ・ブランドの価値の向上も「考える」ことから生まれてくる。

工場を立てる必要も、流通センターを整備する必要もない。
それでも、ビジネスを始めることができるのだ。むしろ、リスクが小さい点に注目すべきである。
その代償として、他人(クライアント)の10倍、100倍の知識や情報が必要になるのは当然のことである。

「情報在庫」
「知的在庫」

の負担と考えてもよいだろう。

 

私たちは、

「ブルー・オーシャンを探索する」
「ブルー・オーシャンを発見する」

ことに終始しがちである。

しかし、本来、

「ブルー・オーシャンを創造する」
「今いる環境を、ブルー・オーシャンに変えていく」

ことこそが重要なのではないか。

ホトトギスやカッコウは托卵という習性を持っている。
母鳥は別種の鳥の巣に自分の卵を産みつける。その巣の本来の主の雛達が孵化する前に孵化し、自分の周りにある卵を皆巣から落としてしまい、別種である「継母」を独占するという。

これこそが、見事な

「ブルー・オーシャン創造戦略」

である。

30代の10年間。私もブルー・オーシャン創造戦略を多用してきた。
それを不快に思っていらっしゃる先輩や同業者の方々も多いと思う。
むろん、汚い手をつかったわけではなく、真正面からビジネス上の勝負を挑んでの結果であるから、それを悔いたり、はじたりしているわけではない。

「600ページ分の知識」

というのは、自分の周囲に大きな参入障壁を気づくことになるから、結果として、

「ブルー・オーシャン構築戦略」

にもなるわけである。

1年なり、2年なり。

どっぷりと、ブルー・オーシャン構築戦略に浸かってみよう。

三匹の子ぶたに例えるなら、藁の家や木の家ではなく、強固なレンガの家を創ろう。
自らの知的居城、自らの知的根城を創ろう。
それが、セルフ・ブランド・マネジメントの大きな第一歩になることは間違いないだろう。

「1年で600ページ」

というとすごい量のように感じるが、割り算すると、およそ

「1日2ページ」

となる。

不可能な量ではない。「1日20ページを1年間!」などというとんでもないことを申し上げているわけではない。
中くらいの難易度の国家資格の試験勉強と同等程度の分量ではないだろうか。
少し長いブログと同じくらいの量かもしれない。

顧客とのやりとり、パートナーとの何気ない会話、食事中、入浴中、トイレの中、通勤途上、本を読んだり、テレビを見たりしながら、いろいろな刺激が生まれてくる。

「これを私の専門としたい特定領域で活かせないか」

と延々と自問自答していけば、いろいろなアイディアが生まれてくると思う。
とてつもない発想法や思考法が必要なのではない。
必要なのは、

「覚悟」

「持久力」

であろう。

たとえば、多くの方は、今時のスマホで音声入力できることは知っているが、使っている方はどれくらいいらっしゃるだろうか。

私は友人と酒を飲みながらでも、思いついたアイディアは、その場で吹きこむことにしている。
先日、つい、吹きこみ忘れて、そのアイディアを思い出すために、友人と30分くらい

「今、何を吹き込もうとしたのか」

について、レビューしてもらった。思い出せそうで思い出せない状態が続くのは苦痛である。
その時は、トイレに立った時に思い出し、笑い話となった。
もし、本当に思い出させなかったら、さぞ、辛かったと思う。

「知っている」「実践する」との間には百万光年くらいの差があると思う。
私は、「知っている」ことを披露する人よりも、「実践している」 ことを伝えてくれる友人の言葉を高く評価しているし、自らもそうありたいと思っている。

 それでも。

1年やっても、2年やっても、目が出ず、何らの成果も得られない場合にはやり方を再考しよう。
ベストを尽くし、あらゆる手段を講じても、手が届かない分野というのも存在するだろう。
その場合には、選択すべき「特定分野」が間違っていたのかもしれない…という勇気を持とう。

もし、私の友人がそういう状態に陥っている場合には、いくらでも相談をお受けしたいと思う。
微力ながら、全力でサポートさせていただきたい。