のべつ幕なしに何でもインプットしたがる方が多い。
趣味の世界であれば、それも全く問題ない。読んだり、覚えたりすること自体が趣味という場合は多々出てくる。
子供がウルトラ怪獣の身長・体重・出身地・足型を覚えるのを批判する親はいないし、私自身、ガンダムの名台詞くらい、すらりと出てくるくらいの知識はある。
メシエ天体の写真を見ただけでその型番がわかる方もいらっしゃるだろうし、Jpopのイントロを聞いただけで誰のどんな歌であるか即座に答えられる方もいらっしゃるだろう。
たいへん結構なことである。
ただし、これらはすべて趣味の世界の話である。
いざ、ビジネスの世界での話となった場合、生産性や効率性の問題は無視できなくなる。
以前にも、
「ビジネスの世界でスクラップブックを使って資料を蓄積している方がいるが、私には理解できない。なぜなら、検索ができない資料には蓄積の意味は無いと思うからである」
という趣旨のことを書いたことがある。
知識補充・情報収集(以下、「知識補充等」と呼ぶ)の場合であっても同様である。
その補充方法には、一定の効率が求められる。
「いやいや、我が社はそんなこと気にしないですよ。みんな、気ままに知識補充していますよ」
とおっしゃるのは、もちろん、その企業の勝手だが、一方で、その企業の競合企業が徹底的に効率的な知識補充等を行なっていれば、価格面もしくは品質面で、その方は太刀打ちできなくなってしまう。競争劣位に陥ってしまうのだ。
少なくとも競争均衡、できることなら競争優位に立ちたい…というのが多くの企業の理想であろうから、知識補充等についても、その方法論は徹底的に論じられるべきである。
無駄な知識補充等はできるだけ避け、可能な限り有効な知識補充等に時間を割きたいと考えるのは、ごく自然なことであろう。
このことは企業においてのみならず、ビジネス・パーソンお一人おひとり(個人)が避けて通れない課題である。
もっとも、個人の場合、年齢や経験による差異は存在する。
一般に、若く、経験の浅い方々は、貪欲に、ある種、何も考えずに、知識補充等に時間を費やしても良いだろう。思わぬ発見、思わぬ気づきが得られる確率が高いからである。
一方、ある程度のキャリアを持つ方々の場合、失礼ながら、残りのビジネス人生の総量から逆算し、必要な知識等を選別し、効率的に補充・吸収に当てられるべきではないかと思う。
40代も後半に差し掛かった私の場合、これは切実な課題である。
ブレイクイーブンポイントがあるわけではないが、私の経験から考えると、概ね、30代後半になったら、知識補充等の方法論については、真剣に考え、選択と集中を意識したほうがよいと感じる。
① のべつ幕なしに書籍を読むのを控え、どの書籍を読むべきか、考える
② のべつ幕なしに異業種交流会に参加するのを控え、どの交流会が自分に適しているかを、選別する
③ のべつ膜なしにセミナーに参加するのを控え、どのセミナーが自分に適しているかを、選別する
④ のべつ膜なしに人から教えを請うのをやめ、どの人物が自らの生涯の師となるかを選別する
⑤ のべつ膜なしに何かを覚えるをやめ、必要な情報だけを記憶し、習得しするように心がける
この5箇条。
若い頃からやっていることだ…という方も多いだろうが、そうでない方針をとっていた方は、一考してみていただいてもよいと思う。
私は毎週、クライアントやパートナーの方々と「ビジネス雑談サロン(雑サロ)」を開催している。私にとっての「家庭教師調達システム」であり、まさに知識補充等の貴重な機会である。
ところが、最近、その開催頻度は若干落ちてきている。
飽きたからとか、つまらなくなったから…という理由ではない。
気心がしれたビジネス仲間とのやりとりはとても有意義である。クライアントやパートナー同士の交流も生まれ、彼らへのサービスとしても一定以上の評価を頂いている。
一種の「プラットフォーム・ビジネス」になってきた感もあるほどである。
本当は、もっともっと開催したいのだ。
にもかかわらず、開催頻度が下がってきている。
これには概ね2つの理由がある。
1つは、雑サロが契機となって生じたビジネスが増えれば増えるほど、火曜日に2時間の時間を確保することが困難になってきた。
一種のジレンマである。「雑サロの自己破壊問題」とでも呼ぶべきだろう。
もう1つは、私が雑サロで学んだ情報が増えすぎて、インプット過剰状態に陥っているという現象がある。
75回フルに参加すると、とてつもないレベルの知識と情報が手に入るのだ。
インプット過剰…つまり、アウトプットしきれないのだ。
たとえば、私がある企業から、
「ビジネスやマネジメントについての最近の情報、特に、ITやCloud、SNSを含めて、講義をお願い出来ませんか。演習形式、ワークショップスタイルでも構いません。最新の企業情報なども踏まえてお話いただけますか?」
と依頼をいただいたとすると、雑サロで学んだことと、そこから派生して得られた経験の情報だけで、おそらくは、7日間×8時間=56時間 くらいは、楽々喋れてしまうレベルである。
ネットさえつながれば、それほど重厚長大なテキストやレジュメがなくとも、さまざまな企業の実例と私自身がアウトプットした情報(ブログ、Facebook、Twitter等)をあげながら、Wikipedia先生とGoogle先生の協力の下、何時間でも話すことができる。
(先日ざっと計算したのだが、雑サロスタート後に、ブログ・Facebook、Twitter、YouTubeで発信した情報は、A4の紙に換算すると、1,200頁を超えていた。)
それも、1年半前に雑サロを始める前に持っていた知識とは別な知識で…可能だ、という話である(もちろん、あまりおもしろくない話も含めて…であるが 笑)。
もともと持っていた経営戦略論、マーケティング、HRM、ビジネス法務、行動科学…といった私の得意分野を絡めていくと、おそらくその3倍、3週間くらいは話を続けることができると思う。
しかし。
現実には、ある企業から1週間ぶっつづけで特定階層の社員に研修を(しかも、講師の得意分野で)という依頼はありえないから、今ある知識・情報のうち、「一部分」をセレクトして、2日間なり、3日間なりの研修プログラムを作成、それに則って話す…という形にしかなり得ない。
インプット過剰状態の典型である。
もちろん、知らないこと、わからないことはまだまだたくさんある(当たり前)。
今も多くの方に私は教えを請うている。
それにしても、アウトプットしきれないくらいの情報がある以上、インプット量は少しバルブをひねって縮小してもいい時期なのかもしれないと思うようになった。
今はアウトプットに注力する時期なのだろう。
知識・情報は減価償却する。
今持っている知識など大半は3年後には役に立たない知識・情報である。
したがって、インプットをやめようとは思わない。
「総量規制」を行うべきだということである。
再び、世の中に大きな動きがあれば、多くのインプットをしなければならなくなるだろう。
民法改正か、SNSに変わる新たな概念の登場か、Appleからとてつもない機器が発売された場合の話か… それはいつのことであり、どんなことがきっかけになるのか、今の段階ではわからない。
インプット過剰状態にあるなあ…と自己分析されている方は、一度、ご自身のインプットとアウトプットのバランスをお考えになっていただきたい。
生産性を示す最も基本的な公式は、今も昔も、
「生産性=アウトプット/インプット」
である。
「この情報はいつかきっと役に立つだろう」…という独り言は、「この情報はおそらくは絶対役に立たないだろう」という独り言と同義である。