小選挙区制の特徴が大きくクローズアップされるここ数回の総選挙。
特定政党の一人勝ちが多く、「死票が多い」という根本的な欠点を多くのマスコミが取り上げている。
しかし、論理学の世界では、そもそも、完全に合理的な選挙制度など存在しないことが証明されている(アローの不可能性定理)。
アローの定理はかなり難解だが、1919年にテンプル大学の数学者ジョン・パウロスが考案した「パウロスの全員当選モデル」などは、それをわかりやすく示してくれるパラドックスである。
たとえば、5人の立候補者(被選挙人)に対する55人の有権者(選挙人・投票者)の選好が以下の6つのように分けられる場合を考えてみよう。
パターン① A>D>E>C>B 18人
パターン② B>E>D>C>A 12人
パターン③ C>B>E>D>A 10人
パターン④ D>C>E>B>A 9人
パターン⑤ E>B>D>C>A 4人
パターン⑥ E>C>D>B>A 2人 合計55人
ここで、パターン①は、「Aを最も良いと思い、次にましなのがD、次にましなのがE、次にましなのがC、次にましなのがB」という人が18人いることを示している。
以下、パターン②〜⑥も同様である。
この場合、選挙の方法としては、以下のようなさまざまな投票方法が考えられる。
① 単記投票方式
複数の選択肢の中から一者を選ぶ方式である。通常、私達が最もよく知っている方法であり、暗黙のうちに、選挙といえばこの方式だと考える方も多い。
1位票を最も多く得た候補者が当選するから、本ケースでは、18票入るAが当選することになる。
② 上位二者決選投票方式
過半数を超える被選挙者がいない場合、上位2者で決選投票を行う方法である。
数年前のアメリカでのブッシュ・ゴアによる一騎打ち、先日の自民党での安倍・石破一騎打ちはこの決選投票であった。どちらの場合も、本来、①の方式であれば、当選していたであろう、ゴア・石破が敗れ、ブッシュ・安倍が当選するという逆転現象があったことで、この方式の首をひねる方も多いだろうが、実際には、①の補間方式として、多くの組織で使われている。
山崎豊子の名作『白い巨塔』でも、主人公の財前五郎が、確執のある恩師・東教授の政治的思惑に打ち勝つのは、この上位二者決選投票方式のおかげであった。
本ケースでこの方式を採用した場合、Aは18票と最多票数を得ることはできるが、55票の過半数28票には遠く及ばないから、勝負は、18票得票したAと12票を得票したB都の間での決選投票に持ち込まれる。その際、Aにはパターン①の18票しか期待できないが、Bにはパターン②〜⑥のすべての票が入ることになる。
12+10+9+4+2=37
計算すると、Bの得票数は37票となり、BはAに圧勝する。
③ 勝ち抜き決戦方式
②の変形であり、上位二者を選ぶのではなく、最下位の一者が段々と落選していく方式である。テレビ番組などで、「一番イケメンを選ぶ」といった企画において、何度も勝負を繰り返し、毎回一番ダメな人が抜けていくというパターンである。昔なつかし、日本テレビの名番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」などでも用いられていた方式であり、選考過程(プロセス)そのものに、ドラマやショー性があるのだろう。確かに、見ていておもしろいと思う。
本ケースでこの方式を採用すると、計算過程を示すのが面倒なので大半を省略するが、最初の選挙では1位票が一番少ないEが脱落し、以下、2回目の選挙では、Eを指名した4票がBへ、2票がCへと流れるため、Aが18票のまま、Bが16票に増え、Cが12票に増え、Dが9票となる。よってDが脱落する。以下、3回目の選挙では、Dの票が移る… これを繰り返していくと、3回目野選挙ではBが、4回目の選挙ではAが破れ、結局、Cが当選することになる。
④ 順位評点方式
投票者の選好を順位で投票し、1位:5点、2位:4点、3位:3点…といった具合に点数をつけて総得点で見る方法である。人事考課などの世界でも使われる方法であり、一定の論理性はある。
ただ、目立たない人が総合点では1位になり、「え? 結局あの人が当選したの???」という意外な結果に終わってしまうことも多い。すべての人から2位指名された方が当選した場合、裏を返せば、すべての人にとって「一番推したい候補者」ではなかった次点の候補者(「ましな人」)が当選することになるからである。中学生の中間テストでも、すべての科目で学年7位くらいだったあまり目立たないそこそこの秀才が、総合点では学年トップになってしまう場合があるが、同様の論理である。
本ケースの場合、表計算アプリExcelでも使って計算すればすぐに結果が出るが、Aが127点、Bが156点、Cが162点、Dが191点、Eが189点となり、Dが当選することになる。一見目立たないDが実は当選してしまうのである。
⑤ 総当たり決選方式
日常ではあまり行われていない方法であるが、立候補者全員による総当り決選投票の票数の合計で争うという方法である。
本ケースで、この方式を採用した場合、これまた計算が面倒なので、省略するが、Eが当選する。たとえば、AとEでの決選投票では、Aは18票しかとれないが、Eは37票とれる。他のB〜DとEが一騎打ちした場合でも、Eが勝利するのである。
と、まあ、おどろくべきことだが、A〜Eの全員が、ある特定の選挙方法の基では当選することが可能になっている。
笑い話のようだが、どの選挙方法をとるべきかをくじ引きで決めるのが、一番公平なのかもしれない(だれが当選しても、一応妥当でありながら、見方を変えれば、妥当性を欠くことになるのだから)。
これらのことについて研究する分野を社会選択理論(集合的選択理論)という。個人の持つ多様な選好を基準に、個人の集合体としての社会の選好の集計方法、社会による選択ルールの決め方、そして社会が望ましい決定を行なうようなメカニズムの設計方法のあり方を解明する理論体系である。経済学者と政治学者の両方により研究され、資源配分ルールや投票ルールの評価や設計は一貫して主要な課題となっている。
1951年にコロンビア大学のケネス・アローは、完全に民主的な社会的決定方式が存在しないことを証明している。「アローの不可能性定理」といわれるものであり、社会選択理論の代表的な定理である。冒頭で、「完全に合理的な選挙制度など存在しない」と申し上げたのは、この定理によるものである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アローの不可能性定理
この定理はむちゃくちゃ難しいので、私もうっすらとしかわからないのだが、とにもかくにも、普段、私達がうすうす感じている
「ルールが違えば、当選者は変わる。一番いい選挙方法など存在しないのではないか?」
という予想を裏付けてくれる定理である(ようだ笑)。
人間はいろいろな限界と戦う生き物だが、物理学の世界で光速を超えることができなかったり、−273度を下回ることができなかったりするように、論理学の世界にも限界があるようだ。選挙制度の理想を追求しようとしても、どうやら、一定の限界があるのだ。
ガリレオが晩年に
「それでも地球が動く」
といったのはどうやら史実ではないようだが、
「それでも理想的な選挙制度はあるはずだ」
と考えて、一定の限界の中でも、努力を続けることを、人はやめないのだろう。
あ、選挙制度に限界があるからといって、「選挙に行く必要がない」と言っているわけではありません笑
来年には参院選もありますし、皆さん、投票権はきちんと行使しましょう!!
人間は限界と戦う生き物なのですからね。
参考文献:『理性の限界—不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書) 』(高橋昌一郎著 講談社)