友人がこのテーマで悩んで、Facebookに投稿していましたので、私も考えてみました。
確かに、「ノーといえない辛さ」というのは、多くの人に経験があると思います。
私もいつもこれで悩んでいます。

チャルディーニの「影響力の要因」的発想(彼の理論には、⑤という切り口はない)にもとづいて整理して考えてみたのですが、私の場合、全部当てはまります(T_T)…

① 好意
好意を持っている相手にはノートは言わない場合が多いですね。

② 恩義
恩を感じている相手にはノーとはいえませんよね。

③ 権威
「偉い人にはわからんのですよ」と思っていても、口には出せないものです。

④ 整合性
途中までイエスを繰り返し、頷いたり、相槌をうっていたりすれば、途中から反論したい内容に変わっても即座にはノーとはいえなくなります。空気を読む、話の腰を折らない…という感情も整合性に近いものだと思います。Facebookの投稿で途中までイエス的コメントが続いていれば、いきなり、ノー的コメントは書けなくなる認知的不協和も、整合性と似ているかもしれません。

⑤ 判断困難
「どっちも正しい」という2つの説・意見・アイディアに対しては、私達は一方にのみノーというのは難しいですよね。

⑥ 根拠の明示
何らかの証拠や証明、事実を見せつけられれば、ノート言えなくなります。統計的証拠、科学的証拠、論理的証明、社会的証拠…なんでもいっしょです。ぐうの音も出なくなる根拠なれば、人はノーといえなくなりますよね。

このうち、①②③については、私の場合、お恥ずかしながら、

「酒」

の力を借りて対処してきましたm(_ _)m
(いろいろ試しましたが、これしかないかと笑)
好きな人、偉い人、恩義を感じている人であっても、ノーといえる環境としては、一番かもしれません笑

④については、

「時」

の力を借りるのが一番だと思います。
時間をおいて、クールオフするしかないですね。
急がばまわれ…ということだと認識しています。

⑤⑥については、特効薬がありません_| ̄|○
結局のところ、自らの

「目」

で判断するしかないかなあ、と。
コンサルタントという因果な商売だし(^O^)

いずれにしても、難しい問題です。
復活したら、雑サロのテーマにしたいですね。