今日の雑サロは、「新聞」で盛り上がりました。
今日は紙派が多かったので、マイノリティでしたが、私は、絶対的な「電子派」です。
読みやすいとか読みにくいという点は、戦術的な問題であり、私はあまり気にしませんが、必要な情報が短時間で「検索」できるかどうかという点は戦略的な問題であり、この点を重視する私としては、紙の新聞ではまったく役に立ちません。

私が新聞を使うのは、90%以上が仕事上でのことです。
巨人が勝ったか、阪神が勝ったか、今日のテレビ欄がどうなっているか、社会面をどんなニュースが賑わせているかには、一切といっていいほど興味がありません。

プロの記者の目を通して、企業やビジネスをめぐる事実がどう伝えらているか…これのみに興味があります。

そして、それが時系列的にどう変化しているのか、いつでも、確認したいわけです。

たとえば、「イケア」という企業について調べなくなった場合に、まっさきに飛ぶのが、

「日経テレコム21」

です。


ご存じの方も多いと思いますが、有料の記事検索サービス。日経だけではなく、概ねビジネス系の雑誌・新聞の過去記事は検索できます。
仕事上、絶対に必要なサービス。
有料ですし、決して、安くはありませんが、不可欠です。

これを使えば、国内の各媒体で「イケア」について、いつ、どんな記事が出ていたのか、雑誌や新聞の枠を超えて、すべて一斉に発見し、ダウンロードできます。

日本上陸前、上陸直後、日本での店舗拡張期…時系列で、すべての記事を一斉に読むことができます。

先日、ある会社の若手の方に、私が渡した情報を見るなり、

「特定の企業の情報とかって、日経テレコム21を使えばすぐ集められますよね」

といわれ、

「そのとおり。学校で使っていた?」

と切り替えすと、

「はい。毎日使っていました」

「便利だよね」

「使えない現在がめちゃめちゃ不便です」

というやりとりをしました。

使っている人間にとっては

「常識」

なのです。

新聞記事の切り抜きをされている方は私の友人にもたくさんいらっしゃるのですが、その記事をどう検索されているのか?
私としては、その一点のみが気になります。

かりに、スクラップブックが200冊あるとして、その中から、「イケア」についての「出店戦略」に関する記事を5分以内に私の前にピックアップし、付箋をつけておいてくれるなら、何の文句もありません(それでも、紙のままでは、文字として打ち込む必要があり、活性度は、デジタル・データには及びませんが)。

しかし、それができないデータベースは、形式的にはデータベースであるかもしれませんが、実質的には、無用の長物…としか思えないのです。

中小企業診断士試験の受験生に真っ先に

「おやめなさい」

というのが、

「新聞記事の切り抜き」

です(『中小企業診断士試験 新・ストレート合格法クイックマスター』同友館 参照)。
昔、中小企業診断士の試験問題が日本経済新聞から出題されたことがあり、その名残なのです。

一方、今日の雑サロでも、

「そうはいっても、新聞は紙じゃないとなじまない」

「スクラップをすること自体に重きをおいている」

「集めたスクラップ記事を眺めるのが好きだ」

という方々もいらっしゃいました。

これについては一切否定しません。

それは、仕事ではなく、

「趣味」

の問題だからです(先ほどご紹介した中小企業診断士の受験は、「仕事」ではありませんが、効率や生産性重視、合格至上主義ですから、「趣味」というよりは「仕事」に近いと考えてください)。

ちなみに、私は、これだけ効率や生産、合理性にこだわる発言をしていながら、2つの点については、

「超・アナログ人間」

です。

① 音楽を聞くときは、黒いレコードで聞くことを好む
② 映画を見るなら、レーザーディスク

以上。
この2点は譲れません。

①については、まず、レコードのジャケットが好きです。CDの12センチと違って、30センチ。とても大きく、まるで一枚の絵のように見えます。
レコードの匂いも好きです。なんともいえないノスタルジックな匂い。最高です。
針を落とした時の一瞬の緊張感。これもよい。昔は嫌っていたノイズ(プチプチ音)も、今では悪いとは思わなくなりました。何しろ、世の中、まったくノイズのない音楽(CD、iPod等)が氾濫状態。少し、ノイズがあったほうが自然に感じます。
何よりも、電気的につながっていない「溝」に「針」で、あれだけ元の音が再現できるということの「システム」に経緯を表します。エジソンは偉大でした。
CGの映画を見ても感動はしませんが、円谷プロの特撮を見ると感動するのと同じです。

②については、もっとマイナーな趣味です。ブルーレイどころか、DVDですらない。レーザーディスク。もうすでに、これを再生できる機器を作っているメーカーはありません(数年前にパイオニアが撤退)。滅び行く文化。その侘びと寂びがよいのです。
1時間立つと裏面にしないとならない…映画一本、連続で見られない…この不便さがたまらなくいいのです。
レコードと同じ30センチのジャケット。中に入っている、ライナーノーツも30センチ。見応えがあります。新書と大型写真集くらいの違い。とてもじゃないですが、DVDをコレクションする気にはなりません。
中古DVDショップに持っていっても引き取ってすらくれないマイナー商品。ヤフオクでも値段がつきません。
だからこそ、最高なのです笑

しかし。
しかしですよ。
これらはすべて、

「趣味」

の世界の話なのです。
効率も生産性もどうでもよい世界。
貨幣的価値とはもっとも縁遠い「変態の世界(「のだめカンタービレ」より)」!

でも、仕事は別です。

もし、私の部下や後輩のコンサルタントが、私の講義動画をレーザーディスクに焼いてきたり、私の講義録を黒いれコードに焼いてくれないと困ると言われれば、まったく、対応する気はありません。
即刻クビです笑

仕事は、生き甲斐や想いやこだわりという側面があっても良いのですが、須らく、それらは、

「貨幣的価値」

をもたなければなりません。測定されなくてはなりません。

プロというのは、お金をとってこそのプロ。
経営者は利益をあげてなんぼの勝負。

「年収いくら」
「年商いくら」

に皆さんがこだわりをもたれるのも、プロとしての誇り、経営者としてのこだわりの現れです。

ですから、新聞記事のスクラップも、「趣味」として考えるのであれば、私は大賛成です。

「君の新聞記事のスクラップと、僕のレーザーディスクのコレクション。どちらがマイナーか、談義しましょう。ま、肩の力を抜いて、おたがいに自慢し合いましょう」

となります。

現に、昔のマンガや雑誌を丁寧にコレクションしている方の部屋に行くと、帰りたくなくなります笑

書籍の裁断についてもいっしょですよね。

「本は裁断できないですね。やっぱり、壁にずらりとならんでいるからこそ、本なわけで」

なるほど。
…書籍を「財(物財)」として捉えている方にとっては、裁断は無理でしょう。

私だって、裁断できない本があります。

たとえば、

「秋田書店サンデーコミックス サイボーグ009 初版」

初版ですよ。初版。
切ってどうするんですか!?!
こういうのは、

「斬り捨て御免」

とは参りません笑。

しかし、仕事で使う本は、私にとっては、須らく、物財ではなく、

「情報」

という経営資源にすぎない…というのが私の価値観なのです。

経営資源である以上、流動性が高いほうがいいに決まっています。固定化させてはならず、運搬活性分析的に申し上げれば、数字が高いほうがいいのです。

「紙の書籍は固定資産、電子書籍は流動資産」

「紙の新聞は固定資産、電子新聞は流動資産」 

ではないかと。

確かに、恩師の本、たとえば、木村達也元・早大教授(現・コロンビア大学教授)の書籍や、TBCの創業者である木下安司氏の著書を裁断するときには、一瞬ためらいがあります笑

でも、木村先生など、

「竹永さん、どんどん切っちゃっていいよ。ついでに、私の蔵書も切ってくれないかな。クラウド、クラウド!」

と、おっしゃるほどの、自炊推奨派!

研究室には、私と同じ、裁断機がバイン!と置かれています。コロンビア大学にお持ちになったのかなあ…
今度聞いてみます。

「書籍は情報にすぎない」
「新聞は情報にすぎない」
「名刺は情報にすぎない」

…根っこはぜ〜〜〜〜〜ぶいっしょ。

そんなものです。

今日のランチ会の最後に、私のiPadの使い方をご紹介したのですが、

私は基本的に、iPadを「紙」の代替品だと考えています。

① Macを開いてWordで文書を書く
② PDFファイルとして保存する
③ Dropbox経由でiPadに送る
④ iPadで閲覧し、校正を行う
⑤ 間違った箇所をMacで開いているWordで修正
⑥ ①〜⑤の作業を繰り返す

こうやって、文書を仕上げていきます。
Mac、特に、私が使っているMacBook Airは、A4判縦文書を見るにはちょっとつらいわけです(画面が横長ゆえ)。

そこで、iPadの登場です。
こいつは、A4判縦文書を読むには実に都合がいいです。
iPadは紙であり、PDFファイルはプリンタなのです。

「すごいなああ」

と思われている方もいらっしゃると思いますが、毎年、こういったことをごく普通にやってきた連中が

「新入社員」

として社会に出てきます。

「僕はいいですよ」
「私は結構」

といって、耳と目を塞いでいてもいいのですが、やがて、少数派になり、やがて、社会からOmitされます。
私は、そうはなりたくないから、常に、皆さんといっしょにもっと効率の良い方法を研究しているのです。

雑サロはそういう意味では、大洪水に備えた「ノアの方舟」に似ているかもしれません。
洪水に飲み込まれたくない方には、いろいろな刺激を得られる場だと思います。

もっとも、文書の管理は分類しないほうがいいだろうといった考え方や、書籍=情報といった価値感は、もう15年くらいずっと抱いてきたものであり、私の中では真新しいことではありません。

GoogleやMacの台頭や、自炊文化の普及といった社会現象がなければ、

「変な奴〜 この人、文書ファイル、分類しないとかいってますよ〜」

と思われてしまうので、それほど、声を大にしては申し上げて来なかっただけでです。

私の持つ14,800の文書ファイル70,000点以上に上る写真ファイルは、すべて、単純かつ普遍的なルールのもとで、この15年間、ずっと管理・管理されてきました。
私のMacのSSDやHDDの中を見ていただければ、一目瞭然。いつでも、証明できます。