政府は、コメの価格高騰を抑えるために備蓄米の放出を始めた。
第一弾は、大手スーパーや量販店に向けて一気に供給された。スピードを重視し、できるだけ早く値下げの効果を出したいという狙いだったのだろう。その判断を、私は否定しない。物流や販売のスケールを考えれば、大手から先に配るのは合理的かもしれない。
しかし問題はその後である。
中小スーパーや街のお米屋さんに回ってきたのは、品質が一段階も二段階も落ちる「古古古米(こ・こ・こまい)」だった。3年以上前の米で、保管状態が良くても、味・香り・色合いには明らかな劣化がある。
そ何より深刻なのは、その古いコメが“大手と同じ価格”で供給されていることである。
中小の事業者は、質の悪いコメを、安くもできず、高くもできない。
売れば「味が落ちた」と言われ、値下げすれば「やっぱりダメな米なのか」と信頼を失う。どちらに転んでも損。中小米屋にとってこれは、“二重苦”どころか“踏み絵”である。
政府の説明は「備蓄米は古いものから順に出している(先入先出)」というものだ。しかし、実際は、どの倉庫にどの米が保管されているか、どこが取引先か、どこに運びやすいか……そうした“都合”でロットの出し順が決まる。
たまたま出しやすかった令和4年産の米は大手に、残った令和2年産の米は中小に。結果的に、中小には“余り物”が回ってきた形ではないか。
さらに不可解なのは、中小企業を支援するはずの中小企業庁が沈黙している点である。
農林水産省の所管ではないとはいえ、現場の中小事業者がこれだけ不利な立場に置かれているのに、正式な申し入れや改善提案の報道は見当たらない。
こうした構造的な“見えない差別”は、日本の行政制度の中でよくあることだ。
「ルール通りやっています」「中立に処理しています」…その言葉の裏で、不利を背負わされているのはいつも、小さな商売を守ろうとしている現場の人たちである。
行政の「公平」とは、すべてを同じように扱うことではない。
異なる立場の人が、同じスタートラインに立てるよう支援することだろう。
今回の古古古米問題は、備蓄米の質の話ではない。
制度の設計そのものに、見えない格差が埋め込まれていないか…そのことを、問い直す必要がある。