カント『道徳形而上学の基礎づけ』(大橋容一郎訳・岩波文庫)を読了した。

新しい訳ということもあって、語り口は明快。巻末の脚注と索引も丁寧で、哲学書としてはかなり親切なつくりだ。それでも、やはり後半は難解で、読み通すには気力と前提知識がいる。今回は入門書を二冊ほど読んだ上での挑戦だったが、それでも深い霧に包まれる場面は多かった。

 

 

読了後に残った感触は明快だった。

「善」と「幸福」は本来ベクトルが異なる。

この二つは別の原理に従って動くが、重なる瞬間がある(12時ちょうどに重なる時計の短針と長針のようなものであろう)。

私はそのとき、人間は本当に幸福なのではないかと感じる。

カント倫理学の核心は「定言命法」にある。

「〜ならば〜せよ」という仮言命法ではなく、「無条件にそうすべきだ」という義務としての定言命法。そこには社会的立場や結果の成否は関係ない。

カントは言う。「ただ意志のうちに善がある」と。

その意味で、この本を読みながら何度も現代の自己啓発や経営理念のフレームが頭に浮かんだ。

たとえば、

 

  • Must(やるべきこと)
  • Want to(やりたいこと)
  • Can(できること)


この三つの円の重なりで「自分のやるべきことを考える」方法論。今やビジネス書や就活セミナーで定番となっているこの手法は、実はカント倫理学の影響下にあるのではないか。

Mustは定言命法。WantやCanは仮言命法に近い。

そして、「理性をもってこの三つを統合するのが「自律」」なのだ。

アリストテレスやショーペンハウアーと比較しながら読むと、カントの倫理観がいかに独特かが浮かび上がる。

アリストテレスは幸福(エウダイモニア)に向かう「目的論」を重視する。

ショーペンハウアーは苦悩と同情の倫理を語る。

しかしカントは、理性による普遍性と動機の純粋性にすべてを懸ける。

そこには妥協も迎合もない。ただ「人間とは理性に従って自らを律する存在である」という厳粛な信念がある。

この倫理観は時に非情に見える。

だが、混迷する現代においてこそ、拠り所となり得る強さがある。

人が「どう生きるか」を自分自身で決めようとするとき、カントは優しくはないが、ヒントを与えてくれる。

決して易しい本ではない。

だが、読み終えた今、「倫理の骨格に触れた」という実感がある。

これは、読むべき本だった。