Chrome嫌いの私には、率直に痛快なニュースだった。

だが、今回の公取委の排除命令は、単なるブラウザ戦争の話ではない。もっと本質的で、もっと静かで、もっと厄介な「行動の支配」をめぐる戦略論の話である。

Googleが売っていたのは、検索技術でも、ブラウザ性能でもない。

Googleが本当に商品化していたのは、「人間の行動そのもの」だ。

デフォルトにあるものは使われる

人間は基本的に怠惰だ。面倒は嫌いだ。だから初期設定を変えない。最初にあるものをそのまま使う。Googleは、この「行動経済学的な真実」に最も早く、最も徹底的に投資した企業だった。

・スマホを買ったら最初からGoogle検索

・最初からChrome

・そのまま使えばGoogleに広告収益

これはマーケティングのナッジ戦略であり、戦略論のロックイン戦略であり、プラットフォーマーによる囲い込みの古典的手口である。しかもそれをグローバル規模で、制度化していた。

便利さの裏側には、意図的に設計された不自由がある。

支配構造にヒビが入る

今や私にとってのポータルサイトはGoogleではない。ChatGPTである。

「検索する」という行動そのものが、Googleの領域の外へと移動しつつある。キーワードを打つより、質問を投げる。リンクを選ぶより、答えを受け取る。そうした行動の変化は、Googleの最大の弱点でもある。

Googleが守ろうとしたのは「そこに置くこと」だった。置かれていなければ、使われないかもしれないからである。これは技術の優位ではない。行動支配の崩壊への恐怖に他ならない。

今回の排除命令は、そんなGoogleの焦りを可視化したものである。

自由とは「手間をかける覚悟」である

我々ユーザーにとっても、これは静かに問われている問題だ。

・本当に使いたいサービスは何か

・初期設定を変える労力を払うか

・利便性と支配の間にある選択をどう考えるか

自由とは、面倒を引き受ける覚悟でもある。Googleの戦略は終わらないだろう。ChatGPTもまた、いつか別の囲い込みを仕掛けてくるかもしれない。

だが今はまだ、行動を外に出す自由がある。その自由を、使いこなせるかどうか。ユーザー側が試されている。