カント倫理学における義務は、「完全義務」と「不完全義務」に分類される。前者は果たされなければ非難される類いの義務であり、後者は果たせば称賛に値するが、果たさなくても即座に非難されるものではないという義務である。
この構造は、ハーズバーグの動機づけ衛生理論と驚くほど似ている。衛生要因が欠如していると不満が生じるが、満たされていても動機づけにはつながらない。一方、動機づけ要因は欠如していても不満にはならないが、存在することで初めて人は積極的に動く。
衛生要因は、いわば「完全義務」にあたる。他者に対して当然果たすべき最低限の責任である。動機づけ要因は「不完全義務」に通じる。他者を鼓舞する力は、常に自由意思の発露として現れる。
リーダーシップにとっての不可欠な土台
企業経営において、従業員の信頼を得るには、まず「完全義務」としての衛生要因を疎かにしてはならない。法令遵守、適正な労働環境、公平な評価制度、生活を支える報酬…これらはすべて、果たされなければ組織としての正当性を失う。
そのうえで、不完全義務としての動機づけ要因(意味づけ、成長支援、裁量、ビジョンの共有など)が提供されてはじめて、人は動機づけられ、自発的に行動する。
カントは「人格を目的として扱い、決して単なる手段としてはならない」と述べた。これは、仮言命法に潜む“人を目的のための手段と見る”危うさを批判した言葉である。人を目的とする姿勢は、完全義務と不完全義務のいずれにおいても求められる。
経営者の判断軸としての定言命法
カントの定言命法は、「その行為の根本指針が万人にとって普遍的に立法可能なものであるかどうかを問え」と命じる。この思考は、短期的な損得勘定に流されがちな経営判断において、価値判断の軸を提供してくれる。
「これをすべき」という問いに、「他者の尊厳を損なわず、普遍化しても妥当か」というフィルターを通す。それが、経営の質を左右する。定言命法は、形式的ではあるが、人間中心の経営を導く羅針盤となり得る。
ハーズバーグの理論が示すもの
ハーズバーグの動機づけ・衛生理論が示すように、人は「不満がないからといって満足しているわけではない」。同じように、カントも「義務を果たしたからといって徳を備えているわけではない」と語っているように思える。
両者に共通しているのは、人間の行為を「最低限のライン」と「内発的な高み」とに分け、後者の尊さを見失わない点にある。強制された善ではなく、自由意思から生じる尊敬可能な行為にこそ、人間らしさが宿るのであろう。それは、管理ではなくリーダーシップの本質でもある。