フジテレビにおけるセクハラ・パワハラ問題に関する第三者委員会の報告書が公表され、多くのメディアや視聴者が「体質を変えるべきだ」との声を上げた。
しかし、重要なのは、本当に変われるのか、変われるとすればどのような条件が必要かを、制度・構造・行動の観点から冷静に見定めることである。
本稿では、フジテレビが向こう1年間でどこまで変化し得るのかを、多角的・時系列的にシミュレーションしてみたい。
初動は早いが、構造には触れない
報告書公開直後、フジテレビは次々と形式的な措置を発表した。内部通報制度の拡充、再発防止委員会の設置、制作ガイドラインの再整備、外部有識者の招聘など、いずれも“動いている感”を演出するには十分な初動である。
しかし、これらは「儀式化された対応」にすぎず、組織構造の変革には及んでいない。報告書に実名で記載された人物の多くは依然として社内に残っており、退任が決まった役員についても顧問等の肩書きで再び社内にとどまる動きが報じられている。これは懲戒処分ではなく、任意雇用としての再登用であり、形式的には合法でも、企業倫理上の透明性を欠く対応とされる。
現在の同社は監査等委員会設置会社であり、取締役会における社外の影響力は限定的である。委員会設置会社への移行などの制度的断絶がなければ、経営と監督の分離は機能しにくい構造となっている。
社内外の“静かなせめぎ合い”が始まる
7月から秋口にかけて、表面的には落ち着いたように見える可能性が高い。しかし水面下では、スポンサーと社員の間で静かな変化が進行する。
スポンサーは「条件付き支援」に移行
多くの広告主は、個別番組単位でのCM再開を検討する。ただし、「再発があれば契約見直し」という明確な条件を付与する場合が増える。これは信頼の回復ではなく、限定的な監視付き出稿である。
これは、経済合理性の観点からは当然の対応だが、フジテレビにとっては「外形的に戻った=本質的に元に戻った」という安心感や誤解を与えるリスクにもなる。
若手社員の焦燥と沈黙
一部の若手・中堅社員の間では、「このままでは会社ごと沈む」という危機感が芽生える。だが、部長・課長級には旧来の価値観に染まりきった管理職が多数温存されており、通報や内部改革の提案は跳ね返されやすい。
声を上げた者が不利益を被る、あるいは浮いてしまうという文化はすぐにはなくならず、被害者でありながら加害構造を支える社員を再生産するという皮肉な構図は続く。
社保庁モデル…変わらなきゃと思いつつ腐っていく組織の末路
フジテレビの行方を考える上で、社会保険庁の崩壊プロセスは極めて示唆的である。
年金記録問題が発覚した当初、社保庁も内部改革を打ち出し、研修制度、通報制度、業務改善計画など、あらゆる“改革メニュー”を用意した。しかし、現場の慣行は温存され、有能な職員は離れ、改革疲れが蔓延し、最終的には組織そのものを解体するほかなかった。
このパターンは、「やっている感」だけが積み重なり、制度疲労が臨界を超えて崩壊する典型である。フジテレビも同様に、看板のままでは限界を迎え、最終的に事業部再編やブランドの統合・縮小といった制度的な断絶が必要になる可能性がある。
下請け企業や系列局への“しわ寄せ”
構造改革を先送りにした結果、内部の問題を外部に転嫁する例も少なくない。フジテレビ本体で抜本的改革が行われなければ、その負担は系列地方局や下請け制作会社に転嫁されやすい。
制作単価の切り下げ、無理な納期要求、契約条件の改悪といった、構造的な“下請けハラスメント”が再燃する危険性がある。これは、内部の甘えが外部の弱者に押しつけられる構図の再現であり、フジテレビという企業の問題が、取引先全体の劣化を引き起こす連鎖になりかねない。
放送免許という“守られた特権”が改革を妨げる
日本の放送免許制度は、事実上の競争が乏しく、強制的な取り消し処分が下されることは極めて稀である。これは「表現の自由」を守る制度的背景に基づくが、同時に改革への外圧としての機能を弱める温床にもなる。
制度上の安全地帯に守られた企業は、市場淘汰や行政制裁から免れてしまう分、変わらない理由を持ちやすい。この“構造的な甘え”が、組織の内発的改革力を弱めている可能性は否定できない。
制度・構造・行動の三位一体改革がなければ戻る
組織の体質を根本から変えるには、次の3要素が同時に起こる必要がある。
1. 制度の断絶…委員会設置会社化、外部監査常設、持株会社制による事業部独立など
2. 人事の非連続性…取締役や局長クラスの実質的刷新と、昇進構造の見直し
3. 行動と成果の可視化…通報制度が処分・是正・評価に直結する実績の蓄積
この3要素のうち、いずれかが欠ければ、組織は“改革前の状態”に戻ってしまう。これが日本型組織の構造的な保守性であり、短期的な変化は表層にとどまりやすい原因でもある。
社会が腐敗を可視化し続ける構造を保てるか
この1年、フジテレビは“変わったように見える”局面をいくつか演出するだろう。キャスターの交代、報道番組の刷新、幹部の異動。しかし、それが構造変革である保証はどこにもない。
本当に問われるべきは、外部からその変化を可視化し続けるしくみである。株主、スポンサー、視聴者、行政、そして業界の横のつながり。その全体が、“変わったことにしたい”力に引きずられず、腐敗の兆候を観察し続ける「持続的な冷静さ」を保てるかどうかにかかっているのではないか。