巷では、大阪万博は、「インパール作戦」と揶揄されている。補給の見通しを欠いたまま突き進み、現場の声は届かず、止めたくても止められない。目的は霞み、計画だけが自己増殖する。この構図は時代や業界を問わず、あらゆる組織が陥りうる。比喩には歴史への敬意と組織の病理を見抜く冷静さが求められる。

両者に共通して見られるのは、「合理性なき突撃」「撤退不能」「現場の封殺」といった、組織における失敗の構造であろう。

大阪万博は当初の予算や計画から大きく逸脱し、会場建設や輸送インフラ、運営費用の増大が次々と判明した。それでも方針は変わらず、「進めること」が自己目的化している。軟弱地盤を抱えた人工島に会場を設けるリスクは、当初から指摘されていた。それでも「決まったからやる」という空気が優先され、実務の難しさは後回しになった。

企業でも、行政でも、「一度走り出した計画が止まらない」「反対意見は和を乱すものとされる」「撤退の選択肢がない」という状況は、身近なところにある。社会や組織文化に内在する普遍的な問題なのかもしれない。

ただし、「インパール作戦」という比喩を使うとき、比喩の元となった歴史を軽んじてはならないと思う。同作戦は、数万人の命が失われた実戦であり、悲劇そのものである。その記憶に敬意を払わず、単なる皮肉や炎上目的で使用するのは、避けるべき態度ではないか。

見通しなき突撃、現場無視、止められない空気こういった組織の病理に光を当てるためにこそ、歴史に学ぶ価値があるのではないか。そういう使い方であれば、この比喩も許されると思う。