昭和の野球理論と二元論

昭和の時代、野球におけるバッターの特性は二元論で語られることが多かった。「中距離ヒッター」か「ホームランバッター」か。この二つの軸が、選手の評価基準となっていた。たとえば、長嶋茂雄は中距離寄り、王貞治はホームランバッター寄りといった具合だ。

この発想は、xy平面でバッターのタイプをマッピングする考え方に近い。中距離ヒッター性をx軸に、ホームランバッター性をy軸にとれば、それぞれの打者がどこに位置するかが視覚的に理解しやすくなる。野球評論家たちはこの二次元マップの中で、打者の特性を論じ続けた。

当時の野球漫画もまた、この二元論を前提にしていた。水島新司の『ドカベン』に登場する岩鬼正美は豪快なフルスイングでホームランを狙うタイプ、里中智は小技を駆使するバッターであり、彼らの戦いはこのxy平面上で展開されていた。

しかし、時代は変わった。大谷翔平の登場により、野球の世界は三次元へと拡張された。

 z軸を持ち込んだ男

大谷翔平は、xy平面に新たな軸を持ち込んだ。すなわち「ピッチャーとしての特性」というz軸である。これまで打者の評価は二次元で済んでいた。しかし、大谷の存在は、これまで野球理論で語られてこなかった「三次元的な選手像」を現実のものとした。

ピッチャーとしての評価軸も従来は二次元だった。すなわち、「直球主体か変化球主体か」。このxy平面の中で、投手のタイプが分類されていた。しかし、大谷翔平はこのxy平面に「バッティング能力」というz軸を追加した。つまり、ピッチャーの概念もまた、三次元化されたのだ。

これまでピッチャーは「直球派か変化球派か」というxy平面で評価されていた。しかし、大谷翔平はそこに「バッターとしての特性」というz軸を持ち込んだ。つまり、「直球か変化球か」という投手の二次元的な議論に、「打者としての才能」という第三の軸を加えたのである。これは、従来のピッチャー像とはまったく異なる次元の話だ。

漫画の世界ですら、この発想を最後まで描ききったものは少ない。水島新司も、梶原一騎も、このz軸を明確に表現することはなかった。梶原は『巨人のサムライ・炎』で、一年ごとにバッターとピッチャーを交互にこなす主人公を描いたが、未完のまま終わっている。水島新司の作品群においても、「バッターであり、同時にエースである」というキャラクターは存在しなかった。フィクションですら描ききれなかったものを、大谷翔平は現実のものとしたのである。

「次元が違う」は比喩ではない

よく「大谷翔平は次元が違う」と比喩的に語られる。しかし、これは比喩ではない。彼は文字通り「次元を増やした」選手である。

xy平面の中で議論していた昭和の野球評論家たちが、もし彼を評価するなら、今までの評価基準が通用しないことに困惑しただろう。従来の二次元的な野球理論では、大谷翔平の存在は説明がつかないのだ。

中小企業診断士という職業柄、筆者は分析が好きである。二軸で語られてきた野球理論に、第三の軸が加わったことに興奮を覚える。そして、この新しい三次元空間に、今後どんな選手が登場し、どのような新たな評価軸が生まれるのか、興味は尽きない。

酔った勢いで、野球に詳しくない友人にこの話をしてしまったのは少し反省している。しかし、彼らの「結局、大谷ってすごいって話?」というシンプルな結論には、ある意味で真理があるのかもしれない。