「本を選ぶ」作業は、未知の油田を探し当てる冒険とも言え、選択には深いジレンマが伴うことがある。本が本当に良書か否かは読んでみないとわからない。まさに油田探索がそうであるように、本選びにも同様の問題がつきまとう。
しかし、先日、ある読書会に参加したことで、長年抱いてきた「選書のジレンマ」に、自分なりの答えを見つけることができた。
私たちは経験を重ねる中で時として壁にぶつかる。その際、過去に読んだ本の一節がヒントを与えることがある。そして、その一節がヒントとなる時、その本は初めて真の良書となる。
これは恩師の言葉と同じである。学生時代には理解できなかった教えも、大人になるとその深さに気づくことがある。何らかの問題にぶつかった際、ふと思い出す恩師の言葉が解決の一助となる。その瞬間、はじめて、恩師の言葉が真の価値を持つのである。
読書にも同じことがいえる。現在読んでいる本が良書かどうかは、その後の読者の人生次第だ。多くの経験をし、さまざまな壁にぶつかり、その時、過去に読んだ本の一節が解決のヒントとなる。その時初めて、読んだ本が良書となる。
「予め良書を選ぶことはできない」
「読んだ本が良書になるか否かは読者の行動次第だ」
「本を活かせる経験をすることが大切だ」
「良書か否かの判断は、読後の経験の豊かさによる」
ファシリテーターとして参加者の方々とやり取りを重ねるうちに、これらの考え方が次々と頭に浮かび、長年の肩こりが解消されるような気持ちになった。
また、これは、
「読んだ本が頭に入らない」
「記憶に残らない」
という悩みの解答ともなった。
読書会の参加者のうちのお一人が
「下線を引くとか、付箋紙を貼るという話じゃない」
とおっしゃっていたが、その通りだと感じた。
要約や感想文を書いても、記憶に残らないことはある。しかし、問題にぶつかったとき、一冊の本から得たヒントが解決に繋がったなら、その体験を忘れることはないだろう。
過去に読んだ本が実体験の中で役立つ瞬間、その本は記憶に深く刻まれる。つまり、良書が生まれた瞬間に、その本は記憶に深く刻まれることになる。
以上から、「良書を探さなくちゃ」という焦りは、読書会への参加をきっかけに消えた。
この経験を共有できた参加者の皆様に、心より感謝申し上げます。