NHK-BSで放送中の4K版『ウルトラセブン』がいよいよ来週最終回をむかえる。サブタイトルは「史上最大の侵略(後編)」。

奇しくも、誠に遺憾ながら、世界中で「侵略」という言葉が至るところで使われている時期である。

思えば、「侵略」という言葉を初めて耳にしたのは、この番組においてだったかもしれない(前作『ウルトラマン』第2話「侵略者を撃て」のほうがちょっとだけ早かったかもしれないが…)。

今回のロシアによるウクライナ「侵略」は、どう考えても許されることではない。

かといって、ロシア人個々を憎むこともできない。良識あるロシア人たちは皆心を痛めている。自分たちの想いとは裏腹に、暴挙を続ける自国の軍事行動を見ていたたまれない気持ちになっている方も大勢いらっしゃる。

憎むべきは、身勝手な理屈により、暴挙に出たプーチンらロシアの為政者たちである。

独裁国家や専制国家の場合、国民には意思決定権がない。それゆえ、今回のロシアのように、為政者の意思と国民の意思との間に「ねじれ現象」が起こりうる。

しかし、我が国の場合はどうであろうか。日本はれっきとした民主主義国家であり、独裁国家でも専制国家でもない。為政者は私たち国民が選んでいる。

ということは、もし、我が国の為政者が今回のロシアの為政者のような暴挙に出ることがあれば、その責任は当然、それを選んだ国民にあることになる。

民主主義国家においては、為政者の暴挙は国民の責任であり、国家の過ちは国民の過失によるものである。

つまり、民主主義国家の国民は、独裁国家・専制国家の国民とは違い、加害者…つまり、侵略行為の当事者・責任者となる可能性は十分にあるということである。

主権を持つということは、それに匹敵する責任をも併せ持つのだということを、私たちは常に忘れてはならない。これは、自分たち自身が侵略の当事者(侵略者)とならないための最低限の努力である。

侵略は被侵略者にとって不幸であると同時に、侵略者側にとっても悲劇をもたらす。長きに渡り、国際社会で非難され続け、蔑まれ、侵略者としての償うことを余儀なくされる。

ウクライナのためにも、ロシアのためにも、今回のプーチンによる軍事行動が可能な限りの早期終結を迎えることを切に願う。「史上最大の侵略」は、ドラマの中での出来事…すなわち、フィクションであってほしい。