学生の頃、ニーチェといえば「神は死んだ」「ニヒリズム」「発狂」というイメージしかなく、「頭のおかしな哲学者」としか認識をしていなかった。しかし、西研先生の解説書(NHK『100分DE名著』のテキスト)と『ツァラトゥストラ』上下巻を併読することで、私の中での彼に対するイメージは大きく変わった。
「信じていれば幸せになれる」という絶対無双のキリスト教に真っ向から斬り込んだよくいえば英雄、悪く言えば無鉄砲な哲学者であったことがよくわかった。特に、ニーチェによる、「キリスト教は、弱者が強者に勝てないことに対する認知的不協和として生まれてきた奴隷道徳に過ぎない」という大胆な主張には驚いた。しかも、彼はこのことを本書においては、かなり明るく、実にあっけらかんと述べている点で、たいへん好感を持てた。
ニーチェ哲学の2大キーワードは、「超人」と「永劫回帰」である。後者(永劫回帰)については、読後、すぐには同意しかねる概念であったが、前者(超人)については十分に賛成できる考え方であった。ニーチェは、既存の価値観に盲従するのではなく、自らが信じる価値観に基づく行動ができる「人を超克しうる者」こそが超人であると説く。SF出でてくるような超能力者ではない。誰もが超人になれる可能性を持っているのである。
1.ルサンチマンにあふれる『白い巨塔』
しかし、私たちは既存の価値観をなかなか捨てることができない。先日まで再放送されていた山崎豊子原作のテレビドラマ『白い巨塔』。主人公の外科医・財前は、自らの信念に基づき、医師としての成功、そして、富と名声を手に入れようとあらゆる手段を講じていく。ルサンチマン(ニーチェのいう「妬み」)に満ちた大学病院独特の慣習・文化・価値観に対し、疑いもせずに、階段を登っていく財前。これに対し、彼の親友にしてライバルでもある内科医・里見はまったく別の生き方を選択していく。ルサンチマンをものともせず、患者と向き合い、研究に没頭する。自らの価値観を貫く里見こそ、ニーチェのいう超人に近い存在である。
ヤスパースは、限界状況(死など)に至ってはじめて人は自己の実存に覚醒すると述べているが、『白い巨塔』でも、財前は死の直前にこの境地に達し、ニーチェのいう価値の転換をようやく果たせているように見える。ドラマの最後に紹介される彼の遺書からは、ルサンチマンのかけらすらも感じることができないのである。
2.量子力学時代の永劫回帰
「永劫回帰」については、西先生の体験(障害者の教え子の話)を聞いて、少しだけ理解できた。誰もが「もっといい人生だったら」と思うことはあるが、そうなると「今の人生」でのよい思い出はすべて無になってしまう。この歳になるとさすがに、人生はそこそこの「資産」になっており、目の前に悪魔が出てきて、「もっといい人生ありますよ。やり直しますか?」と薦められても、「いや、いまのままで十分です」と答えるであろう。
カーネマンの行動経済学の研究(プロスペクト理論)によれば、人は「得をしたい」気持ちよりも「損をしたくない」気持ちのほうが大きい(およそ2倍の差がある)ということは明らかであり、そうなると、永劫回帰を受け入れることもできる人は案外多いのではないだろうか。
ただし、20世紀になり、量子力学が登場、未来は確率的に決まることが証明されてしまった。宇宙が膨張から縮小に転じ、数百億年後に「点」に戻り、再びビッグバンが起こったとしても、同じ未来にはならない。物理学的には永劫回帰はありえないのである。さらに、最新の理論物理学によれば、宇宙の膨張は加速化しており、最終的には物質はすべて引き裂かれ、素粒子同士が光速で移動しても出会うことがない「寂しい宇宙(ビッグリップ)」に至ると予想されている。せっかく、賛同した永劫回帰であるが、どうやら想像上の産物に終わりそうである。
3.ティール組織は21世紀のニーチェ哲学たりうるか
先日、友人の読書サークルで、課題図書として『ティール組織』が取り上げられた。当初、『ツァラトゥストラ』と『ティール組織』とはなんの関連もない著作だと思っていたが、読みすすめるうちに、両者の共通点に気づいてきた。
著者ラルーは、本書を通じ、既存のさまざまな組織スタイルの長所・短所を述べつつ、これらの組織を遥かに上回る「ティール組織(進化型組織・自己経営型組織)」を提唱・紹介している。
ティール組織とは、部下は一人ひとりがどんな意思決定をしてもよいが、その際、組織内の専門家ならびにすべての利害関係者に意見を聞かなければならないという助言プロセスに基づく組織である。リーダーは意思決定をする必要はなく、ひたすら部下の相談に耳を傾ける仕事であるという。元々、すべての組織成員が等しく権限を持っているので権限移譲という概念は必要なく、一人ひとりが最良の選択をし続ける限り、目標管理・予実分析・マーケティング・事業戦略策定等も不要になってしまうという組織である。
上司が部下を思い、優れたリーダーシップを発揮し、部下に権限移譲する組織が、「最高の組織」「組織論のゴール」だと信じて、疑いもしなかった私にとって、ティール組織はまさに青天の霹靂であり、度肝を抜かれる提案であった。もちろん、「これはさすがにすぐに導入できる組織形態ではないだろう」とも思ったのだが、ここで、思い出したのが、ニーチェの哲学であった。
「既存の組織論が示す最高の組織こそが理想であり、ゴールである」という考え方こそが、私の思い込み(既存の価値観)ではないか…という疑問が生じてきた。ラルーの主張するティール組織が今後、最高の組織形態として人類に受け入れられるかどうかはまだわからない(マルクス主義のような運命をたどる理論かもしれない)。しかし、少なくとも、「組織論のゴール、まだまだ先があるよ」という可能性を示してくれた点は評価したい。
直前にニーチェを読んでいなかったら、このような評価に至ったかどうかは疑問である。「机上の空論だ」「今の日本の組織では無理」…経営学の理論や組織論の知識が邪魔をして、ただ、否定するだけで終わってしまっていたのではないかと思うからである。ティール組織は、21世紀のニーチェ哲学になるかもしれない。