『エチカ』の「証明」部分は難解だが、「定理」部分は、言葉の定義さえ理解できていれば、常識的に考えて、「それはそうだ」と腑に落ちるものも多い。各部冒頭における用語の定義(実体、属性、様態、神、受動、能動等)を一読した後に、まずは「定理」だけを拾い読みするだけでも十分に刺激を得ることはできよう(第3部定理6、7、55系、第4部定理31系、71、72、73等)。その上で、気になる定理、納得できない定理については、証明部分を精読し、深堀していけばよい。國分功一郎氏は、第4部から読むことを推奨されているが、私のオススメは第3部(感情論)からのスタートである。

1.「スピノザ流・感情素因数分解論」の基本と応用

人間の感情を、喜び・悲しみ・欲望の3つの「素数」に分解し、すべての感情はこれらの派生であり、「合成数」であると結論づけていく展開は見事である。怒りやハラスメントが社会問題となっている現在だからこそ、シンプルで理解しやすい「スピノザ流・感情素因数分解論」は、多くの方に知ってほしい考え方である。アドラー心理学アンガー・マネジメントの源流も「感情は分解して理性的に捉えることができる」というスピノザの考え方の延長上にあるのではないかと感じた。
この考え方はビジネスにおいても、顧客分析の際に、応用することができるのではないだろうか。縦軸に顧客の喜び・悲しみ・欲望の3つの感情の「素数」をとり、横軸を時間軸に据える。これにより、自社製品に対する購買意思決定プロセスにおける顧客感情の変化をシンプルに分析することができるようになる。時間とともに、顧客感情の変化をグラフ化するもよし、顧客感情を細かく描写するもよし…である。いずれにせよ、顧客感情の変化に対し、自社がどのような対応をすべきかを議論することが可能となる。「スピノザ式カスタマー=ジャーニー分析法」とでも呼びたくなるようなフレームワークである。

2.コナトゥス重視型の企業文化

コナトゥスの考え方も興味深いものであった。人間の本質は欲望であり、それを実現するために、コナトゥス(努力)という概念が必要であるというスピノザ固有の考え方である。読みながら、5年ほど前に、Googleの役員の講演を拝聴したときのことを思い出した。
「日本の企業はダイバーシティを受動的義務として捉えるが、Googleは違う。ダイバーシティを能動的に『機会』として尊重する。性的マイノリティ・少数民族・シングルマザーといった社内少数派ごとに委員会を設置し、彼らの視点でGoogleに足りないものを議論してもらう。年に1度、議論をもとに経営者に対し、提言してもらう。これが弊社のビジネスの『種』になっている。我々(Google)にはダイバーシティは不可欠な『機会』である。嫌々義務としてダイバーシティを導入している日本の企業とは根本が異なる」
というものであった。
① 人をエイドス(形相)で判断することを避け、エートス(本質)を重視する姿勢
② 会社が自己保存を果たすために、社内マイノリティの言葉(提言)をコナトゥスとして受け止めるシステム
③ 結果として、自社の活動能力が高まっているという「善」なる成果
意図されたものではないと思うが、同社が、スピノザ的な哲学に立脚した企業文化を持っていたのだな…ということにようやく気づくことができた。

3.自己判別型真理を受け入れる社会づくり

第2部定理43も本書を象徴するすばらしい定理である。光を比喩的に用い、「真理は自らが真理自身と虚偽とを区別する指標になる」ということを説明している一文である。
何をするにも、エビデンスとアカウンタビリティが求められるビジネスの世界。実のところ、当事者皆が疲れ、限界が来ているように思う。「失敗しない」「責任を回避する」ことが、ビジネスパーソンの実質的な個人目標になってしまっているからである。ある斬新なアイディアがその会社にとっての実は「真理」であったとしても、それが証明されない限り、承認・採用されることはない。
先日、私の主催するサロンに、様々な企業の社外取締役・社外監査役を引き受けている公認会計士の友人が参加してくれた。「自分の仕事の意義(監督・監査の重要性)は理解しているが、実は、自分は当該企業の未来の芽を摘む仕事を担っているのではないかという不安に駆られる」と恐る恐る話してくれた。彼女ほどに顕著ではなくとも、私達は日々、多かれ少なかれ、測定できない真理の芽をつぶしながら、仕事をしているのかもしれない。
「こんなアイディアはいかがでしょう」「しかし、君…そのアイディアの成果を証明できるのか?」「すみません…私自身は直感で絶対にイケる!と思うのですが、それを他の人にはうまく説明できないのです」「そうかあ…」「だめですか? やっぱり…」「いや。いいよ。採用だ! やれば、君のアイディアのよさは自然と証明されるだろうからな」
スピノザのいう自己判別型真理を受け入れる企業における上司と部下の会話のイメージである。スタートアップ期の企業であれば、ありうる情景だが、大企業・大手金融機関・官公庁等では、残念ながら、今のところ、ほぼフィクションであろう。
どうすれば、スピノザ型の真理をビジネスの世界、さらには社会に導入できるのか、方法の発見と深耕が、今後の自分の課題となりそうである。答えは簡単に見つかるものではないと思うが、ヒントとなりそうな事例を1つ見つけた。先日友人の勧めで視聴した「フィンランドの教育」の動画である。(https://www.youtube.com/watch?v=qK20_-MDJYc)。彼の国の教育についての考え方は、少なくとも、我が国の教育よりは、スピノザのいう自己判別型真理を認める社会の構築に貢献するのではないだろうか。