一昨日のことですが、話題の行動経済学をネタにしたサロンを開催しました。

学術的な話になるか、ビジネス絡みの話になるか、はたまた関連分野(コミュニケーション論や交渉術、心理学や行動科学)の話に転がっていくか…

期待と不安で開催したサロンでしたが、やはり実に面白かったです。

前半は、純経済学的な観点から、

「行動経済学は本当に学問なのか?」

という厳しいご意見が続出!

古典的な経済学は、「数学」あるいは「理論物理学」に近いですからね。
「人間」という主役は出てこない(経済学に登場する「経済人」は、ま、人間とはいえないですよね。機械みたいな動きをしますから)。

行動経済学の最大の失敗は、ネーミングなのかもしれません。

「○○経済学」

となっている以上、「経済学」の一派ですからね。
古典的経済学が好きな方からは異端視されてもしかたがありません。

一方、心理学や経営学、あるいは、行動科学を学んだことのある人間からすれば、

「よくぞ、いろいろ紐解いてくれた」
「よくぞ数字の裏付けをとってくれた」
「よくぞがんばって分析してくれた」

と、歓迎の声があがっているのではないでしょうか。

たとえば、私たちは経験的に(ヒューリスティックに)、

「100万円得する可能性のある賭けは嫌じゃないけど、100万円損する可能性のある賭けは避けて通る」

と思うのですが、これを、実際に「測定」したのが行動経済学なのですよね。

統計心理学、行動心理学、実験心理学…
統計行動科学、実験行動科学…
統計経営学、実験経営学…

なかなかうまい言葉が思いつきませんが(心理学は一定の「測定」の上に成り立っている学問ですから、今さら「実験」と歌うのも失礼ですしね)、とにかく「経済学」という文言をはずしさえすれば、”経済学ファン”にも好かれるかもしれません。

古典的経済学と行動経済学の関係。

似ているのは、

理論物理学と実験物理学

の関係でしょうか。
物理学の世界は、大きくわけて、上記の2つに大別されます(その中間もいますが、今回は2つで考えます)。

理論物理学者がひらめきと計算に基づいて、新しい

「理論」

を作り上げると、何十年かかけて、実験物理学者が、それの理論(この段階では仮説)の実証実験(あるいは観測)を試みる。
で、理論が正しかったことが証明されると、まず先に、理論物理学者が賞(たとえば、ノーベル賞)を受賞し、次いで、実験物理学者が賞を取ります。

ランクとしてはやはり、理論物理学者>実験物理学者 というヒエラルキーがあるそうです。

…と、書いていて、

「やはり違うか」

とも思いました。
だって、行動経済学者は、古典物理学者が作り出した「理論」を証明するのではなく、

「いやいや。現実は違う曲線を描きますよ」

と、むしろ、否定しているわけですしね。
理論物理学者と実験物理学者との関係とは、「逆」ですね笑

そうすると、なんだろう。
数学者と物理学者の関係が似ていますかね。

数学者は純粋に数学とい抽象の世界だけで生きる。実験道具も観測道具もいらないわけです。紙と鉛筆があれば、研究はどこででもできる。カネもかからない…

物理学者は、数学者の発見した理論を元に、世の中に起こっていることを説明していく… しかし、数学的理論どおりにはならない事象に直面し、悩む…

あ、こっちのほうが多少似ていますね。
ただ、この両者の関係が、古典物理学者と行動経済学者との関係と違うのは、物理学者による実験だの観測結果だのというのは、数学者にとっては、

「どうでもいいこと」

だということではないでしょうか。
歯牙にもかけない。気にすらしない。
数学者は常に天上天下唯我独尊なのです。

とすれば。
古典経済学派の皆さんも、これでよいのではないかと。

「行動経済学者がいろいろ我々の理論の揚げ足をとっているらしいが、ま、どうでもいいね」

と思っていれば腹も立たないのではないかと。
そもそも、前提がぜんぜん異なる学問ではないかと思います。
別物ですね。別物(^o^)

というわけで、このテーマのサロンは、また開催しようと思います。賛否両論、喧々諤々と参りましょう〜