5.中庸と思いやり
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渋沢は、修養の際、極端な考え方に身をおくことも戒めています。
彼のオススメは「中庸」。
過ぎたるは及ばざるが如し…ともうしますが、渋沢も、「過ぎたる」「及ばざる」いずれもよくないよ…「ほどほど」が一番だと述べています。
「中庸」は、過激思想・革命思想につながりやすい陽明学の逆機能に対するブレーキなのかもしれませんね。

渋沢は東洋思想と西洋思想には共通点が多いとも述べており、儒教とキリスト教の類似点をいくつかあげています。

中庸も、洋の東西を問わず、重んじられる考え方。
東洋では、儒教(特に朱子学)において、西洋では、アリストテレスの哲学において重んじられる概念ですね。

人格を養成する方法として、渋沢が推奨するのは、「忠」「信」「孝」「弟」等についての教育。いわゆる道徳教育です。
これらをきちんとやっていけば、最終的には「仁」を身につけることができる…渋沢は、「仁」を最高の道徳と位置づけています。
彼自信が、仁者でしたからね(女性問題以外においては…ですが)。頷ける内容です。

「近代日本の資本主義の父」といわれる渋沢栄一。
イメージとしては、馬車馬のように人を働かせる怖い資本家のイメージです。
しかし、現実の彼はそんなイメージとは程遠い仁者だったわけです。

いささか資本家っぽくない考え方ですが、かれは、「思いやりの道」についても説いています。

これは、

「資本家は「思いやりの道」によって労働者と向き合い、労働者もまた「思いやりの道」によって資本家と向き合い、両者のかかわる事業の損得は、そもそも共通の前提に立っていることを悟るべきである」

というものです。
びっくりですね。この時代、すでに「労使協調」の思想を持っており、それを明言していたわけですから。
同時代の資本家たちからは「うるさいこというなあ。そんな甘いこと言ってたら、儲かるものも儲からんだろうが」と、さぞ、揶揄されたのではないかと思います。

西洋思想において、労使協調が前面に出てくるのは、もっと後の時代ですよね。
たとえば、ベルンシュタイン。
彼は、マルクス主義を修正し、議会を通じての改良政策によって社会主義を実現できると主張しました(修正主義または修正社会主義)。
ここのおいてはじめて、階級闘争ではなく、労使協調(労働者と使用者の関係を闘争関係とみず、紛争を排除し協力・調和を図ること)がクローズアップされたわけです。

渋沢のほうがずっとずっと先を言っています。