昨日、「名著を読む会」で議論担った内容。

事業戦略を策定するために、さまざまな研究者や経営者が、いろいろな方法を提唱している。

古くは、SWOTやプロダクト・ポートフォリオ・マネジメント、ポーターのポジショニング理論。

比較的新しいものだと、VRIO分析、バランスト・スコアカード経営、ブルーオーシャン理論。

参加者各々の間でも評価が別れました。

「私はブルーオーシャンは好きだし、コンサルで使っている」
「ブルーオーシャン…やってみたけど、うまくいかなかった」
「バランスト・スコアカード経営…全社的に導入しましたよ。でも2年くらいで使われなくなった」
「うちも導入しましたが、解釈が違っていたみたいですね。歪んで伝わった」

楠木建教授がおっしゃるとおり、事業戦略は、

「特定の文脈(環境)における特殊解」

であり、

「論理はあっても、方程式は存在しない」

という言葉を思い出します。

そうなんですよ。
「成功する事業戦略」を「必ず発見する方法」ではないんですよね、これらの理論。

少なくとも、事業戦略が成功するためには、3つの条件があります。

① 戦略理論の有効性
② 立案者の力量
③ 解(成功する戦略)の存在

仮に①が十分に有効なものであっても、②がなければ、意味がない。

「猫に小判」

となる可能性があるわけです。

また、③はもっと根本的な問題。
①②がそろっていても、その会社・事業部が現在置かれている環境下においては、どこをどういじくってもうまくいく方法が存在しないという状態であれば、どうにもならないわけです。

鉱脈の発見に例えるとわかりやすいです。

① 鉱脈発見法の有効性
② 鉱山会社の社員の能力
③ 鉱脈の存在

ね。
おわかりですよね。

何らかの実験を通じて、①の「鉱脈発見法の有効性」が認められてもも、②「鉱山会社の社員の能力」がなければ、①を使いこなすことができない。
さらには、③「鉱脈の存在」が認められなければ、①②があっても、そもそもどうにもならない。

③「鉱脈の存在」がないところで、優れた鉱脈発見法を用いて、うまくいかなかったとしても、

「この鉱脈発見法、使いものにならないなあ」

ということにはならないでしょう。

まず、③の問題を疑い、ついで、①②について検討すべきです。

昨日の議論に参加して、わかったのは、日本の多くの経営者やビジネスマン、あるいは企業や事業部が、ちょっと新しい戦略理論がブームになると、それをかじってみて、うまくいかないと、

「この理論、使えないなあ」

と、ゴミ箱に放り投げる…という行為を繰り返してきたのではないかということです。

もちろん、②③の可能性同様、①についても平等に考えなければなりません。

昨日の議論でも、過去にどんなに多くの人に支持されていた方法でも、今読み返すと、ほとんど役に立たないだろうと思える戦略理論の存在することも再確認できました。

私見ですが、コアコンピタンス経営だの、ビジョナリー・カンパニーだのというこのは、「間違っている」とは思いませんが、道徳の教科書みたいなものであり、およそ、新しい戦略を策定する方法論にはならないということを再確認することができました。

「なんで、こんな本を皆、聖書のように崇めていたんだろう」

という感じです。

このように、確かに、①の「戦略理論の有効性」に問題がある場合もあると思います。

しかし、①が認められるにもかかわらず、②「立案者の力量」の問題でうまく使いこなせていない状態の企業・事業部・経営者・マネジャーも多いだろうし、そもそも、③「解(成功する戦略)の存在」を無視して、一心不乱に、戦略理論どおりに議論を続け、成功できる戦略を見つけられるとひたすら信じ込んでいる状態は、もっと滑稽な現象です。

「信ぜよ。さらば救われん」

とはいかないのですよね。
現実は(笑)

いつまでたっても成功できないと、すぐにまた新しい戦略理論に宗旨変えをする…
やっぱり、ちょっとおかしいですよね。

②③の条件が揃っている時に、はじめて、①が問題になるのですよ。

おそらくは、企業内で、誰かが流行の戦略理論の導入を提案し、よくわからないが、世の中で「注目されているなら」ということで、明確な反対派が存在しないまま、導入が決定し、よくわからないまま、全社に拡大され、その段階で反対意見を述べようものなら非国民扱いされ、暫く経つと、あまり効果が見られないことがわかり、提唱者は失脚するか、誰かのせいにして難を逃れ、多くの部署で自然消滅的にその戦略理論に基づく立案をやめていく…
そしてまた、どこからともなく、誰かが細心の戦略理論の導入を提案し…

このサイクルですな。
このサイクルが延々と続いていくのでしょうね。

仮に、この過程のどこかで、誰かが、「古き良き理論(本当に有効ながら昔の理論)」を提唱でもしようものなら、白い目で見られ、冷笑されるんでしょうね。「この時代遅れの素人が! 俺のように最新の理論を勉強しろ!!」という感じで。