GWの合間ではありますが、今日は今月2回目の雑サロ(第88回ビジネス雑談サロン)を開催しました。
タイトルは「至高の執筆術(レジュメ・ブログ・書籍の原稿とどう向き合うべきか)
いやあ、タイトルだけ聞くと、すごいセミナーのように見えますが、単なる

「雑談」

をしただけです。いつものことながら笑

  

1.書籍を執筆・刊行する意図と目的

いろいろテーマが出たのですが、最初に話しはじめたのは、

「書籍を執筆・刊行する意図と目的」

についてでした。
現在の印税率は条件にもよりますが、5〜10%というのが実情です。
たとえば、1,000円のビジネス書を執筆した場合、
それが初回で5,000部刷られるのであれば、印税は、

1,000円✕5,000部✕5〜10%=25万〜50万円

という計算になります。

「おお! すごい!!!」

と思われた方もいるでしょうが、執筆戦略にかかる労力や手間暇を考えると、代替戦略は山のようにあります。
執筆だけがすべてではないということですね。

今日集まった友人やそのまた友人の中には、1万部、10万部というすごい本を書いている方もいらっしゃいますが、そうなれば話は別ですが、なかなか、印税だけで食っていくのはしんどいものです。

では、なぜ、そうまでして執筆するのかというと…

① 販売促進
本を書くことにより、多くの人に自分という存在を知ってもらえることを狙った場合です。
セルフ・ブランド・マネジメント(SBM)の一貫である…という意見も飛び出しました。
有名な出版社から出せれば、それは自分のブランドを高めることにもつながるでしょうし、一方、Kindleで出版すれば、ローコストで自分の名前と商品(アイディア・サービス・ノウハウ等)を広く、世間の人々に知らしめることができます。
売上やら利益は二の次…というのであれば、これも1つの執筆の意義になります。

② 普及啓発
今日は『ブラックジャックによろしく』の事例がでましたが、この作品、著者が著作物の二次使用を自由化したので、ニュースになった作品です。
『ブラックジャックによろしく』の作者のように、印税や経済的権益が目的ではなく、自分の描いた(書いた)ものを、より多くの方に見てほしい、読んでほしいということを目的とした執筆もあってしかるべきでしょう。
実際、多くの方は、ブログやTwitterでいろいろなことを書き込まれていますが、必ずしも経済的目的に基づくものではありません。
書籍もそれらと区別する必要がない時代になっているのかもしれませんね。
講演やセミナーを開催している方の場合、地方や遠方の方に対してはなかなか満足なサービスができないものです。それを補うために書籍を利用する場合もありますよね。

③ 自らの勉強
これは私が出した意見です。駆け出しのコンサルタントの頃、ある先生に、

「基本書や入門書を書く機会は大切にせよ」

と言われたことがあります。
こういった一種、

「つまらなく感じる仕事」

こそ、自分を高めるチャンスなのです。
財務でも法務でもマーケティングでも営業でも、

「基本書・入門書・教科書」

を書くとなれば、相当に勉強しなければならなくなります。
関連書籍はヤマのように必要になりますし、場合によっては、関係者に取材もしなければならなくなります。新聞記事や雑誌記事にも目を通す必要があります。判例も調べなくてはならないでしょう。

この過程で、自分が成長することができます。

「本を読めば勉強できるじゃないか」

という方もいらっしゃるでしょうが、それは違います。
少なくとも、他人(読者)のために商業出版する以上、漠然と眺めるように本を読むのとは、

「勉強の密度」

が違います。本を書くために行う読書量・勉強量はすごいものになります。
執筆行為自体による確実な記憶化、細かい概念の差異についての判別力…読んだだけの人とは雲泥の差が生じます。

私はこれまで、資格の学校のテキストはヤマのように執筆して参りましたが、

「マーケティング」
「HRM」
「ビジネス法務」

についての基本は、

「書くことで学んだ」

と申し上げて、嘘はありません(「基本」ですよ、学んだのは。全部じゃありません)。プレゼンテーションや営業は、必ずしも書籍を書けば学べるというものではありませんが、多くの知識は、「書くこと」によって、自らの中でも

「形式知化」

していくのだと思います。
本日来てくださった友人のうちのおひとりが、いみじくも、

「書いてみると自分のノウハウの抜けやオチがよくわかる」

というようなことをおっしゃっていましたが、だからこそ、それを埋めるための勉強を強制的にしなくてはならなくなるわけですね。

これらは、いわば、

「自分のための執筆」

になりますが、執筆動機としては非常に大きいと思います。

2.執筆という業務のハードルを下げる工夫

次に、執筆におけるハードルの高さについての議論になりました。最初のうちは、

「よし、書こう!」

と思うのに、そのうち、

「ううむ、筆が進まない」

となってしまうことはよくあることです。

得意分野や自分のノウハウであっても、200ページ(ビジネス書1冊)書くのって、そうとうハードルが高いのですよね。

これを楽にする方法の1つに

「共著」

があります。先ほど触れた

「販売促進」

目的の執筆であるなら、単著でなくても、十分に効果はありますから、

「共著」

という方法も当然出てきます。今日もそういうご意見が出ました。

また、「共著」と似ている手法ですが、

「ゴースト・ライター」

を起用するというのも1つの方法です。

「出版プロデューサー」

に力を借りるという方法もあります(出版プロデューサーとゴーストライターと共著も明確な境目はありませんが)。

共著方式をとったり、ゴースト・ライター方式をとったりする場合には、自分と共同で書いてくれる、あるいは自分の代わりに書いてくれる執筆者の

「実力」

が問題になります。
ヘタッピーに担当させれば、結局、元の木阿弥。
自分で一から修正しなければならなくなります。この作業はとてつもなく厄介です。一から書いたほうが楽な場合も少なくありません。

実力のある共著者や優秀なゴーストライターを得るためには、方法は3つしかありません。

① オーディションのしくみを持つ
② 教育訓練(トレーニング)の仕組みを持つ
③ 出版プロデューサーに①②を任せる

①は世の中にたくさんいるであろう腕のいい執筆者と出会うためのコンテストを実施するという方法です。②はもともと知っている人間が自分と同じようなレベルで書けるようになるまで教え、育てるという方法です。
③は①②を外注してしまうという方法です。もっとも、今度は、優秀な出版プロデューサーを探すという手間暇が発生します。

いずれにしても、共著なり、ゴーストライターの起用なりであっても、また、出版プロデューサーを採用するのであっても、尻尾津の割り振りさえすれば、自動的に書籍ができあがるということは一切ありません。
相当な調整コストが発生することは間違いないのです。

また、共著の場合、自分の勉強」の機会と考えると、その効果は半減します。
自分のパートは熱心に調査し、執筆するでしょうが、共同執筆者のパートについては、それほど勉強になりません。
もちろん一定の勉強にはなるのですが、自分のパートほど時間を割くことはないでしょうから、増加する知識量は限定的なものになります。

3.効率的に書籍を出版するプロセス

できるだけ効率的に書籍を出すにはどういうプロセスを経るべきだろうか…という話題も出ました。
こんな

「むしのいい方法」

はもちろん存在しません笑

しかし、ある程度、システマチックに事を進めることも可能です。

① 予め、共同執筆者にトレーニングを施しておく
② リーダー執筆者が台割・構成を作り上げる
③ 台割・構成について、出版社・共同執筆者と調整し、本質的に当該書籍の意図を理解してもらう
④ リーダーがサンプル原稿を1章分作成し、出版社の同意を取り、共同執筆者に体感的に理解してもらう
⑤ リーダーが共同執筆者を監督しながら、作業を命じる
⑥ 相互校正を繰り返しながら、仕上げていく

…とまあ、こんな感じでしょうか。
それでも、うまくいかないこともありますし、絶対的な方法があるかどうかすら、わかりません。
今後の研究課題となりますね。

執筆のための時間づくりもいろいろなアイディアが飛び出しました。
友人の一人が

「飛行機の中」

をあげていましたが、同感ですね。
飛行機の中は、メールも飛んで来なければ、電話もかかってきません。上司も部下も同僚も顧客もいないわけであり、完全な自分の時間とすることができます。

あとは、スキマ時間しかないでしょうね。
ドラッカーはまとまった時間が重要だ…といっていますが、さすがに、3週間とか1ヶ月とかを執筆の時間として専念できる人はいませんからね。テトリス型時間勘理論者である私も、ここは自説を曲げ(曲げざるを得ませんよね)、執筆におけるスキマ時間の有効性に一票投じたいと思います。
それでも、3日程度まとまった時間がとれるならば、耐久レースのつもりで

「3日間でどれくらい書けるか」

に挑戦してみてもいいと思います。何事も自分の限界を知っておくことは大切です。

私の場合、ほぼ頭のなかに書くべき内容が固まっている場合(途中で一切の調べ物をしなくていい場合)であれば、1日(12時間換算)の執筆速度は、概ねA4判用紙に換算しておよそ60ページです。

講演のネタを文字化していきますと、図表込みで、1日の講演で100ページくらいになります。『コミュニケーション・マーケティング』(同文館出版)の後半部分100ページは、元々講演原稿として存在したPowerPointおよそ100枚を図表化し、これで約40ページ分。残りの文章原稿60ページは、1日で初稿を書き上げました。
それは、何度もお話している内容であり(「動機付けの7つの湖」モデル)、時間さえあれば、書くことは十分に可能だったからです。

いささか陳腐で恐縮ですが、いまや、パタンと蓋をひらけば、ノートパソコンでいつでも書くことができる時代です。
万年筆やボールペンは手元になくてもよいのですが、キーボード付きの何らかのガジェットは手元にないと話になりません。
会社のパソコンとつながっていようがいまいが、大きな問題ではなく、気づいたことをすぐに

「文字化」

できる時代なのだから、それを怠るのはもったいないと思うわけです。

執筆のハードルを低くするもう1つの方法として、

「予め書いておく」

ということを、私は挙げさせておきました。

何でもかんでも、気づいたことやアイディアになりそうなことは、FacebookでもTwitterでもYouTube(この場合は映像ですが)、ブログでも、テキストエディットでも…とにかく、書いておく…
その蓄積があると、執筆は楽になります。

たとえば、私がクライアントから

「新しいプロモーション・ノウハウについての研修テキストをつくってほしい」

というご要望を頂いたら、真っ先に検索するのは、Googleでも、日経テレコンでも、自炊書籍でもなく、過去に書いた自分のブログ・Facebook・Twitterの書き込みと過去にアップロードしたYouTube動画です。
これらの中にかなりのヒントと素材が含まれている可能性が高いのです。
SNSは多くの場合、自らの知的資産の

「貯金箱」

としての役割を果たしてくれているのです。
それも、高額の積立ではなく。

「500円貯金」

のようなものです。

では、私がいつ

「知識の500円貯金」

をしているのか…というと何らかの刺激を受けた後です。

たとえば、

① 顧客のカウンセリングや相談を受けた後
② クライアントやパートナーと一杯やっている時
③ 講演やセミナー、ワークショップを担当した後
④ VTR収録終了後
⑤ 雑サロや「名著を読む会」に出席した後

です。
できるだけ、忘れてしまわないように、学んだことや気づいたことを書き留めておく。
まとまれば、Facebookやブログに載せたりもします。
この原稿もその一例です。

昔から、

「芸は身を助ける」

とはよく申しますが、私流に申し上げれば、

「知識の500円貯金は執筆を助ける」

ということになります。
ボーイスカウトではありませんが、

「備えよ常に!」

がスローガンとして適しています。

私は今のところ、自らのブログやTwitterを商業出版に転用しようとは思っていません。
しかし、これらの場所に掲げた知識や情報を読み返していけば、十分に役立つ情報をピックアップできます。

この他、全部書いてから出版社と調整するのではなく、1章できたら見てもらう、その間に2章を書き上げ、戻ってきた1章に対する意見・感想に従い、3章を書き上げ…という方法を紹介されていた方もありました。
出版社によっては、

「全体が見たいので、全部できてから送ってください」

というところもあるのですが、実はこれだとめちゃめちゃ時間がかかるのですよね。
生産工学でいうところの

「停滞」

が長くなります。ですから、生産のリードタイム…この場合、執筆のリードタイムですが…が最長になります。

「書くのに1年もかかっちゃった」

というのは、よくある話ですが、この場合、上記のような

「全部書いてから調整型」

の執筆となっている可能性が大なのです。
リードタイムを短くしたいなら、

「一部書いては都度調整型」

の執筆がお勧めです。
自分の書いた原稿がだんだん書籍に近づいていく姿(たとえば、ゲラ)を早くみることができますから、それだけでも、自らを動機づけることができるのです。

4.セルフ・ブランド・マネジメントと執筆活動

セルフ・ブランド・マネジメント(SBM)との絡みについても話題になりました。

① SBMが確立してから、それに基づき、Facebookやブログを書いたり、書籍を書くべきか。

それとも、

② Facebookやブログを書きながら、SBMを確立していくか。

どちらだろうか? という命題です。
明確な答えは出ませんでしたが、今後、Kindleなどを通じて、出版のハードルがぐんぐん低くなるのであれば、SBMの確立のほうが優先するだろうという意見がでました。
これについては私も全くの同感。

「有名な出版社から出ているからまともなビジネス書だろう」

という判断ができない書籍が増える以上、

「著者ってどんな人なんだろう」

という疑問が現在以上に大きくなるからだという意見も出ました。
著者のセルフ・ブランド・マネジメントが書籍の成否に与える影響は、今後ますます強くなることになるでしょう。

5.Kindle時代の出版のあり方

Kindle時代の出版社の役割については、以前の雑サロでもテーマとしてあげたことがありました(「革命の旗手 その名はKindle」)。
その際に、私が感じたのは、玉石混交で電子出版物があふれかえった後に、

「やはり、出版のプロの目にかなった書籍のほうが価値があるな」

という振り子のゆり戻し現象のようなものが起きるのではないかということでした。
一時的に

「出版社を通さずに出版できる」

ような風潮が世の中で大きくなった後に、その逆の動きが出てくるように思えてならないのです。

ですから、世の中の出版社は、それを踏まえ、

「目利き」

としての実力を研ぎ澄ませておくのが上策だと思います。

6.レジュメの執筆方法

さてさて。
本日は出版だけではなく、レジュメの作成方法についても情報交換がなされました。
これらも立派な執筆活動であり、むしろ、講演やセミナー、なんらかのプレゼンテーション等の知的な仕事に携わっている方の場合、なんらかのレジュメを作成しなければならないことは多いからです。
本日参加のメンバーの間では、

「キラー・コンテンツが思いついたらそこからが仕事」

という意見が多かったと思います。

大げさに申し上げれば、講演用のレジュメを1から創る作業の場合、作業時間の90%は、

「キラー・コンテンツを何にするか」

を決定するまでの時間となります。
あの人はなにもしないでサボっているように見える…という時間が、実は立派な作業時間なのです。

「キラーコンテンツが見つかった」

という状態を言い換えると、

「神様が降りてきた」

となります。神が降りてこないと、PowerPointなど何の役にも立たないのです。

だれでも知っていることを延々と話す講演やプレゼンを時々見聞きすることがありますが、これは

「キラーコンテンツが見つかっていない状態」

にも拘わらず、ただ、スライド資料をつくり、スクリプトを作って、体裁を整えた結果です。
見掛け倒しとはこのことです。

「神様が降りてこない状態」

では、おもしろい話などできませんし、ましてや、誰もが満足するレジュメなど作れっこないわけです。

では、どうしたら、キラー・コンテンツを思いつくか…。

こうなると、思考法・発想法の話になってしまいますが、今日のキーワードは

「温め」

「晒し」

でした。
「温め」とは、自分のアイディアについてしばらく寝かせておいてから、再度考えてみるというものです。
客観的に自らのアイディアを見つめなおすことができるというものです。
私は最近、「神様が降りてくる」のは、明け方、ぼんやりと寝ている時点ということが多くなりました。当該テーマについて、考えて、考えて、考えぬいて、ボーとしている時に、アイディアが途端にひらめく! こんな機会がずっと続いています。完全に忘れることができないからこそ、「温め」が起こり、よい結果が生まれているようです。
先日、友人の結婚披露宴の余興として5分ほどのプレゼンを考えたのですが、この時もなかなかアイディアが思いつかず、うつらうつらしている時に突然、「!」とひらめきが起こったのです。あとはストーリーをまとめ、一気呵成にスライドにし、音入れまで済ませました。完成したのは、披露宴当日の昼でしたから、冷や汗モノでした。

一方の「晒し」とは、自分のアイディアを多くの方に見ていただき、感想や意見を言っていただく…というものです。
「温め」が自力本願だとすると、「晒し」は他力本願です。
他の方の知恵やセンスをお借りして、自らのアイディアの形を整えていく作業工程です。

「晒し」は1回で終える必要はありません。何度も何度もいろいろな人晒したほうが、多角的に自分のアイディアを見直すことができます。
たとえば、今週の雑サロで8人のメンバーに自分のアイディアを伝えた後、頂いた意見ももとに修正し、翌週の雑サロで別の8人にその修正案を見ていただく…これを繰り返すといった方法です。

どんなに多くの発想法や思考法を勉強しても、結局のところ、個人レベルでの発想法や思考法は、所詮「集合知」には勝てません。
多くの方にアイディアを晒す「勇気」と「場」こそが、大切なのではないかと感じます。
勇気だけでも場だけでも、自分のアイディアというのは、うまく晒せませんからね。

FacebookをはじめとするSNSのすばらしいのは、自らのアイディアを晒すことにより、まだお会いしたこともない友人から感想や意見をもらえる点です。
こうやって改めて考えてみると、物理的な距離はずいぶんと縮んだなあ…と思います。
物理的に距離が離れていても「協業」が本質的に可能になる時代ももうまもなくやってきますね。

レジュメを作る場合には、

「ターゲットは誰か」

を考えることも重要ですね。
私の場合、講演など、事前に受講者の方々がわかっている場合には、担当部署(人事部や営業本部)にお願いして、事前アンケートをとっておきます(「事前アンケート」の効果については、以前にも、当ブログで「MDL(多次元的能力開発)」の項で述べています)。
それにしたがって、企画を修正し、作成するレジュメのトーンやスタイルを変える…ここまで手をかければ、講演を失敗する可能性はかなり小さくできます。

ところで、本日も、

「レジュメを配るか」

という問題が提起されましたが、これについては、

① 講義やプレゼン用のスライドは、写真や図表中心とし、文字は極力少なくなるよう作成する
② 当日は、スライドは配らず、目をプレゼンターと前方スライドに釘付けになるようにする
③ 「テキスト(教科書)にならないじゃないか」という不満に答えるべく、講演の最後には、「今日のレビュー」として、講演録にあたる文字資料(スライド資料とは別。「本日のサマリー」のようなもの)を用意し、配布する

という方法を紹介しました。
私にかぎらず、多くの方がやっている手法でしょうね。


さてさて。
というわけで、本日の昼のサロン、非常に多くのことを学ばせて頂きました。
このテーマ。
また、後日やりたいですね。