先日の企業研修の際に受講された社員の方から、

「情報配信の重要性はわかりますが、仕事に関する情報をタダで発信したのでは、コンサルタント業は成立しないのではないですか?」

という質問をいただいた。
この質問。
実はよく頂く。

これについては、やはり、

「一定の線引」

が必要である。

① 本業に直結するアイディアや手法については公開しない
② 本業に間接的につながるアイディアや情報は無料で公開する
③ 販売促進につながる情報の場合、①に該当するものであっても一部公開する

私の場合、概ねこのような感じで区分けしている。
①③については当然のことながら、②については、

「本業以外のことについてもこれだけ詳しい方であれば、本業はもっと凄いノウハウを持っていて下さるのではないか」

と、潜在的な顧客に思っていただけることを期待しての判断である。

すべてのノウハウと情報を無料で公開してしまっては、有料で私の話を聞きに来てくださったり、私のコンサルティングを受けて下さる方に対し申し訳ない。

もっとも個々の知識やノウハウそのものにそれほど大きな価値のない時代にもなっている。
個別の知識やノウハウを後生大事にかかえていても、競合者の誰かが公開してしまえば、無価値なものになってしまう。
無価値になるくらいなら、「自分が公開した」という実績を「買った」ほうが得な場合も多い。
このあたりは、株の売買によくにているかもしれない。
暴落することがわかっているのなら、早めに売っちゃいなさい…ということである。

個別の知識やノウハウを評価する「JIS規格」(個別規格)のような評価基準よりも、継続的に知識やノウハウを生み出し続けることができることを評価する「ISO規格」(システム規格)のような評価基準が大切にされる時代なのだ。

何事にも線引は重要である。

たとえば、クライアントに知人を紹介する場合を考えてみよう。

現在、私がリアルに仕事をしている方はいずれもがその道の

「プロ(玄人)」

である(少なくとも私はそう思って、契約書を交わし、やりとりをさせていただいている)。
間違いなく、信頼している方を選んで仕事をしている。

何らかの御縁で、クライアントに人材を紹介する場合にも、

「なんとなくすごい人」
「話していて楽しい人」
「飲みに行くと盛り上がる人」

だけでは紹介しない。

大切なクライアントに人材を紹介するなら、

「その道のプロ」

に限定している(プライベートなつきあいは別である。「楽しければよい」と思うことも多々ある)。

「竹永さん、今度、私のこと、紹介してくださいよ」

といくら頼まれても、

「その道のプロ」

でなければ、頑として紹介しない。
いつもにこにこと

「そのうちね」

とかわすだけである。

研修ディレクターや営業担当者の皆さん、人事部の部課長の方々、営業本部の本部長やマネジャー諸氏、商品プロモーション部門のぶ課長の面々、そして、同業の経営コンサルタントのお歴々。

今、仕事上、親しくお付き合いしている方は、すべて、自信をもって、

「この人はプロだ」

という方々ばかりだと思う。
中には、他の仕事や業界に移られて、私との縁が残念ながら遠くなってしまう方もいらっしゃる。
そういう方とは、お会いする度に、メールを打つ度に、飲みに行く度に、

「また、この業界に戻ってきてください。いっしょにまた一花咲かせましょうよ」

「未練タラタラに」お誘いすることにしている笑。

まるで池波正太郎の世界。
『鬼平犯科帳』で足を洗った名人芸を持つ元盗人に、「おつとめ(盗み)」を誘う昔の仲間のようである。
おっと、尊敬するビジネス・パートナーの皆様を盗人に例えるのはまずかった。
こりゃ失礼!m(__)m

さてさて。

いずれもが、これらのパートナーの皆様全員が、

「竹永セレクト」

であり、同時にこれらの方々に

「セレクトされた竹永」

でもあると信じたい。

「その道のプロだけを紹介する」

とは、言い換えれば、

「素人感覚の友人は紹介しない」

ということである。

私自身と仕事をするなら、パートナーは素人感覚の方であってもかまわない。私がそのことをわきまえていればよい話であるし、㈱経営教育総合研究所にも迷惑をかけるようなつきあいかたはしない。

しかし、そういった方々をプロとして自らのクライアントに紹介することは現に慎まななければならない。

① 後々、当事者の素人感覚がクライアントに迷惑をかけること
② 結果として、私の人選に狂いがあったという烙印を押されること

が、火を見るよりもあきらかだからである。
私に法的な責任はなくとも、道義的な責任は間違いなく追求されるだろう。

ここでいう

「素人感覚の持ち主」

というのは、

① 報酬や条件、時間的期限にこだわりがなく、なあなあで仕事する方
② 目標意識がなく、なんとなく惰性で仕事をしている方
③ 自分のペースで仕事をすることを優先し、クライアントのニーズ・視点・ペースに興味を持てない方
④ 専門知識が乏しい方、昔とった杵柄のような知識と情報にしがみついている方(要するに勉強しない方)
⑤ 評論は得意だが、成果を出せない人、実務能力のない方

である。
ドラッカーが、『マネジメント』の中で「真摯さ」はマネジメントの重要な資質(しかも、唯一の先天的資質)だと主張しているが、①〜⑤は、ドラッカーのいう「真摯さ」の対局にある資質である。

こういう書き込みは、常に自戒の意味を持って行うことにしているのだが、

「竹永さんも口だけだな」

と後ろ指をさされないように、今後もプロ意識を持って仕事をしたいと思う。

カリスマ税理士の冨永英里氏と(確か初めてお会いした時だったと記憶しているが)お話したときに、彼女と、

「SNS経由での顧客や仕事の紹介については細心の注意を払うべきではないか」

という議題で盛り上がったのを覚えている。
当時は私もまだSNS初心者であり、頭でわかっていても体感するまでには至っていなかった。
1年半が過ぎ、そのことが今では体感的にわかるようになった。
友人と顧客、クライアントとパートナーの関係が複雑になるにつれ、トラブルに対する完全な自衛は不可能だとも思うが、

「一定の線引」

を行い、そのことを関係者に暗黙的に、あるいは、明示的に知らしめることが肝要だと思う。

【例】飲み会の際に盛り上がっていても、ひょいと真顔になって「ただ、契約だけはちゃんと文書でお願いね。以上〜〜〜〜」といって、再びまた盛り上がり状態に戻る(暗黙的な示し方)、「念のためメール送っておいてください。形式的なものだけどね」といって、口頭での約束は避ける(明示的な示し方)

先日お会いしたあるメーカーの人事担当の方が、

「友達の友達だというから信頼して仕事(研修)をお願いしたら、えらく適当にやられてしまった。後から抗議したら、『こっちは頼まれたからやっただけだ。だったら報酬はけっこうです』とつっかえされたことがある。二度と、情実で人選をするまいと心に誓った」

とおっしゃっていた(すでに時間が経過してしまい、笑い話として紹介してくれたのだが)が、これは、

「一定の線引」

の難しさと必要性両方を物語っている恒例だろう。

同業のコンサルタント会社のあるマネジャーの方は、

「最近はWebでの仕事が沢山舞い込んでくるようになった」

とおっしゃるので、

「羨ましい限りですね」

とお伝えすると、

そうでもないのです。申込者は法人もいれば、個人もいる。要求レベルや条件も千差万別。先方の財務的な背景もわからないから、仕事を受けていいかどうか、判断が難しい。結局、一度は会って、話を進めるということになりますよ」

と、話してくださった。

与信管理を徹底すればよいではないか…といわれるかもしれないが、法人格を持たない団体や個人の場合、入手できる情報には限界がある。支払能力の問題のみならず、たとえば、相手が反社会的勢力に与しているリスクなども考えると、事は簡単ではない。

これもまた、

「線引困難化の時代」

を象徴するエピソードである。

情報の選別。
紹介の選別。
顧客の選別。

「一定の線引」の必要性が増しつつも、難しさも増しつつある時代である。
一見すると、デジタルな情報があふれているから、線引しやすい時代だと思うのだが、SNSやICTの発達により、情実・義理が生まれ、線引しにくくなっている時代と見ることもできる。
難しい意思決定が要求される。