「どんな新しい街になっていくのかと思えば、結局は、観光と水産の街をめざすという。これでは何もかわらないではないですか。がっかりです」
パワーショベルが街の其処此処で目にできるようになり、かさ上げも始まった。
震災から2年が経過し、見た目には、復興に向けて少しずつ動き出したかのように見える宮城県気仙沼市。
しかし。
現地の経営者の声を「拝聴」すると、その先行きは、必ずしも明るくない。
「どんな街になるかと思っていたんですがね。結局は元の木阿弥。元通りになろう…ということしか決まらないのです」
未曾有の大震災はたくさんのものを奪った。
多くの人を傷つけた。
それでも、ゼロからのスタートを切れることで、本来ならいろいろなことにチャレンジすることもできる千載一遇の機会でもあった。
事実、そのように考えていた地元の経営者の方も多いのだ。
大空襲で焼け野原になった戦後の東京。
それゆえに、ゼロスタートを切ることができた。
マイナスをバネにして、私たちの父母が死に物狂いで働いてくれたたために、世界第2の経済大国に上り詰めることができた。
震災の後。
東北を始めとする被災地にも、マイナスを吹き飛ばすロケット・スタートを切っていただきたいと願っていた。
ところが。
蓋を開けてみれば「元の木阿弥」。
落胆の声が広がりかねない状況にある。
なぜ、このようなことになってしまったのだろうか。
1年ぶりに気仙沼を訪問してみて、千葉淳也氏(マサキ食品社長)の話を伺いながら、一番考えさせられたのは、この問題だった。
現在のところ、私には、一番の原因は、
「合議制による復興」
にあるのではないかと思えてならない。
飛行機や船で緊急事態が起きれば、機長・船長は大きな権限を持つ。
いつもは優しいキャビン・アテンダントのお姉さんでさえ、厳しい顔に変わり、乗客に「指示」「命令」を下すようになる。
助かるためには、「独裁」が必要なのだ。
緊急事態には、合議制が役に立たなくなることを私たちは肌で知っているのだ。
にも拘わらず、震災の度に、有事の度に、
「合議制による復興」
が延々と繰り返される。
戦後長らく続いた自民党政権に絶縁状を突きつけ、素人同然の民主党政権のお試し運転中に大災害が起きたことも、不幸に拍車をかけた。
「何も決まらない」
東日本大震災復興基本法24条に復興庁設置の基本方針が規定され、2011年12月に復興庁設置法が成立したものの、実際に復興庁がスタートしたのは、翌2012年2月1日である。震災から11ヶ月。
遅きに失するとは、まさにこのことである。
その復興庁はどの程度の権限を持ち、どの程度のリーダーシップを発揮しているのだろうか。
目に見える成果を感じることはできない(一生懸命お仕事されている公務員の方には頭が下がる思い出し、感謝申し上げるが)。
合議制で何かを進めれば、何といっても
「迅速性」
が損なわれる。
「この際、時間はダイヤモンドよりも貴重」
であるにも拘わらず…である。
また、合議制で進めれば、
「被災直前の利害関係の復活」
に必ず結論が向いてしまう。
多数決を繰り返すのだから、
「被災直前の利害関係の復活」
の方向に収束するのは当然である。
これでは、被災というマイナスをバネにして、数少ない長所であるゼロスタートだからこそできるドラスティックなロケットスタートを切ることはできない。
迅速性が損なわれ、元の利害関係の復活が優先される合議制の採用を見直す必要がある。
たとえば、こんな方法は選択できなかったのだろうか。
(1) 未曾有の震災(一定の規定に基づき認定)が発生した場合には、被災地に対し強力な権限を持つ総督(被災から2週間以内等、首相が任命)が派遣される
(2) 総督の権限は被災地の復興に関する事項に関しては、各省・国務大臣の権限を上回るものとする。
(3) 被災地にいる基礎自治体(市区町村)の首長は、総督の許可をとれば、自由に各自治体の復興を進めてよい(その間、各省に許認可を得る必要はない)。一定の事項(法律で事前に決めておく)については、議会の承認も、広域自治体(都道府県)の許認可も不要。
(4) 個人の所有権については法が定める一定期間は凍結。総督の判断により「公共の福祉」が優先される
いわば、「定時定地独裁制」の導入である。
総督個人の力量にすべてを委ねるのは危険だ…という意見があることは重々承知している。
だが、そういう方は、飛行機が墜落しようとしているとき、機長に一任しないのだろうか。
そんなことはあるまい。
共和制ローマでも、非常時においては、独裁官を設置していた。
むろん、これが行き過ぎた結果、カエサルやアウグストゥスの台頭を招き、帝政に移行するわけだが、それを抑制する方法は現代であればいくらでもあるだろう(たとえば、総督の権限は軍事には終身及ばない、任期満了後は国政への参加はできない 等)。
基礎自治体の首長を毎回選挙の際に、2人設けておいてもよいかもしれない。
(1) 首長
平時の政治を担当する首長
(2) 有事担当特任首長
法律で定める一定の有事が起こった場合に、市長に代わって一定期間復興行政を担当する首長
平時に波風立てずに政治を行える人物(首長)と、有事に強力なリーダーシップを発揮して被害を最小限に留めることができる人物(有事担当特任首長)の資質は異なるからである。
これは、革命家と政治家の資質が異なるのと似ている。
坂本龍馬は自らを革命家と認識していたからこそ「船中八策」には自らの名前を残さなかった。政治家ではなく、商社マンをめざしたのだ。
ロベスピエールは、フランス革命の主役のひとりとして歴史にその名を残すが、革命後は恐怖政治を断行し、処刑されている。
「治世の能臣」と「乱世の奸雄」は異なると考えるのが正しい物の見方かもしれない。
というわけで、先ほどの私案を修正してみよう。
(1) 未曾有の震災(一定の規定に基づき認定)が発生した場合には、被災地に対し強力な権限を持つ総督(被災から2週間以内等、首相が任命)が派遣される
(2) 総督の権限は被災地の復興に関する事項に関しては、各省・国務大臣の権限を上回るものとする。
(3) 被災地にいる基礎自治体(市区町村)の首長は、予め選挙で選出されたいた有事担当特任首長に指揮権を譲渡する
(4) 各基礎自治体の有事担当特任首長は、総督の許可をとれば、自由に各自治体の復興を進めてよい(その間、各省に許認可を得る必要はない)。一定の事項(法律で事前に決めておく)については、議会の承認も、広域自治体(都道府県)の許認可も不要。
(5) 個人の所有権については法が定める一定期間は凍結。総督と有事担当特任首長の判断により「公共の福祉」が優先される
これにより、最大限重要な案件であっても、
(1) 内閣総理大臣
(2) 総督
(3) 有事担当特任首長
の3つの印鑑があれば、何でもロケット・スタートを切ることができる。
当然、行き過ぎた行政判断がなされる場合もあるだろうから、一定期間(10年、20年等、法律で定める)経過後に、ある程度の
「損害賠償」
を認める制度を設けるべきかもしれない。
どの道、全員が得をするという復興計画はありえないのだから、ここは目をつぶる。
とにかく、スタートしてみて、後から修正するというグランド・デザインで物事を進めるべきであろう。
私は法律や行政の専門家ではないから、ここに記したアイディアは、
「穴だらけ」
であることは認める(当然だと思う)。
しかし、合議制によって得られる被災地全体の期待値が100だとすれば、上記のような定期定地独裁制によって得られる期待値がどれくらいのものになるのか、平時のうちに試算しておいていただきたい。
80や90に留まるなら採用しなくてもよいが、たとえ、110や130になるのならば、採用を考えてもよいのではないか。
定地定時独裁制の採用が危険だというのであれば、合議制と定地定時独裁制との折衷案も考えられる。
(1) 被災地の復興行政に関する意思決定は、一定期間は合議制に基づき議論するが、決まらない場合には、総督や有事担当特任首長に一任する
(2) 被災した基礎自治体毎に、①従来首長の指揮下での合議制の維持、②定地定時独裁制への全面移行、③(1)であげたような折衷案の採用、を選択する
今更ながら、被災地におけるどの自治体も右往左往の連続で「迅速性」という最も大切な要素が損なわれて2年が経過したことが残念でならない。
念の為に申し上げておくが、これは各自治体の責任ではなく、国と私達国民の責任なのだ。
「有事において、平時と同じ制度を用いる」
ことが、すでに大きな間違いであるのだ。
飛行機の中で、エアポケットに入り、ヒヤリとする度に、どうか、このことを思い出していただきたい。
飛行機の中で何かあれば、合議制では誰も助からない。