千種伸彰氏が主催する気仙沼復興支援ツアーに1年ぶりに参加。
今回のテーマは「拝聴と対話」



「復興豆腐」
マサキ食品を再訪し、千葉淳也社長にも再会することができた。

 

 

お元気そうで何より。新製品の「幸せのおからドーナツ」は連日完売という。

わずか1年の間に気仙沼は大きく変わり始めていた。
被災物が除去されたものの静寂に満ちた更地だけが目立った昨年3月とは大きく様相が異なる。
至る所で重機がフル稼働し、一部ではかさ上げが始まっていた。
港周辺のかさ上げだけでも面積的には120ヘクタール、必要な土は70万㎥に及ぶ。
これをわずか1〜2年で盛りつけてしまうというから、現代の土木技術のレベルの高さに驚かされる。

一方で、仮設商店街の移転問題、仮設住宅の期限問題等、最初からわかっていたこととはいえ、これまで目を向けて来なかった問題が顕在化。
被災地は再び大きな転機を迎えている。

 

視察の中で印象的だったのは、マスコミでも大きく報じられた第十八共徳丸
撤去直前。実物を見ることができた。
全長60メートル。排水量330トン。
海岸から600メートルも内陸にこれだけの質量の物体が移動してきたということだけでも、津波のエネルギーの凄まじさにぞっとする。

「保存すべきか、撤去すべきか。それが問題だ」

この震災の「遺跡」をどう扱うかについては、地元・気仙沼でも大きな議論になった。
住民のほとんどは「撤去してほしい」という意見だという。
一方で、観光資源になりうる(経済的効果が見込める)、震災の記憶を後世に伝える役割を担える(社会的意義がある)といった理由で、保存を望む声をあったという。

ツアー参加者の中でもこれについては意見が大きく別れた。酒を飲みながら、激論を交わした。

保存派が多い中で、私見は「撤去」である。理由はいろいろあるが、一番は、被災された現地の声を最優先すべきだということである。

経済効果や社会的意義を主張する面々の気持ちもわかる。その上で、現地の声を重んじるべきだという結論である。

性犯罪にあった女性が精神的に大きなダメージを受けている時に、

「あなたがこのような犯罪に巻き込まれたことについては遺憾に思います。しかし、このような犯罪が二度と起きないように、手記を発表しませんか」

と説得する輩がいれば、非常識との謗りを免れることはできないだろう。

海を正視することができない、丘に打ち上げられた船を見ただけで動悸がしてしまう… このような住民がまだまだ多数いる現在、船の撤去は遅すぎる意思決定だったと思えてならない。

卑近な例で恐縮だが、十数年前に父が亡くなった時に、遺産(僅かではあったが)を母と弟と分割するにあたり、我々は母の取り分を重視した。
竹永家全体で考えた場合、合理的なのは、母の取り分を少なくし、我々兄弟の取り分を多くする方法である。
しかし、我々は、「非合理的な方法」を選択した。これから我々兄弟も何があるかわからない。
年老いた母を守るのは(場合によっては、我々息子たちから)、「お金」である。よって、母の取り分を多くすることが非合理的な方法ながら、最良の方法であると決断した。
非合理的な意思決定が必要な場合というのが、必ずあると思う(最近は税理士の友達が多いから、「もっといい方法があったわよ」といわれるかもしれないが、それは置いておいてください)。

第十八共徳丸の場合もいっしょではないだろうか。
中長期的にみれば、経済的・社会的にみれば、住民感情を最優先すれば、「保存」という選択肢が合理的なのかもしれない。
しかし、今は非合理的な方法であっても、「撤去」を選択すべきではないだろうか。
今回の気仙沼市を始めとする関係者の意思決定を私は支持したいと思う。

一方、今回のツアーでは、APF通信やフジテレビ等で活躍されているジャーナリストの方々と情報交換することができた。

「保存すべきです」
「目を背けてはいけない」
「大衆が目を背けたくなる事実をえぐり出し、それを晒すことが我々の役割です」

彼らの意見は概ね保存を肯定するものであった。
これも大切な社会的機能であると思う。
何でもかんでも目を背けてしまい、臭いものに蓋をしてしまうような社会は健全なものではない。
ジャーナリズムの意義は十分に尊重したい。
えぐり出す義務と権利、さらす義務と権利。
大切である。

それでも。
その対極には、目を背ける権利というものもあるだろう。
全員が全員、いっせいにさらされた現実を見つめなければならないというものではない。
そこには、個人差が認められてしかるべきである。

教育の世界でも「個別対応」が重視される時代だが、同様に、震災に対する個人の受け止め方にも個人差が認められてしかるべきであろう。
同じ1人の人間の中でも、震災直後、1年後、2年後、3年後、5年後、10年後… 受け止め方は変わる。
目を背けていた人がそれを直視できるようになる時期もやってくることだろう。
震災風化を防ぐためには、特効薬だけでなく、漢方薬も必要なのだ。

震災の象徴は確かにあったほうが、後世に歴史を伝えやすいかもしれないが、代替案がまったくないわけではない。いろいろ考えを巡らすことが大切であろう。

阪神淡路大震災の場合、原爆ドームや第十八共徳丸にあたる目に見える象徴」はなかったと思う。
それでも、ドミノのように倒れた高速道路を始めとして、忘れえぬ映像は多数残っている。
ツアー参加者のおひとりがおっしゃっていたが、デジタルの時代ゆえ、たくさんの情報を劣化するなく伝えることができるのだから、さまざまな形での情報発信を続けていくことこそが大切なのだろう。
ハードな情報、ソフトな情報、プラスの情報、マイナスの情報、ダイレクトな情報、オブラートに包まれた情報。
そのいわば「情報アラカルト」を、被災地の方々と、国や政府と、ジャーナリズムに携わる方々と、そして、国民一人ひとりが作り上げる過程に携わるべきなのだ。

打ち上げられた船だけが震災の記憶の風化を防ぐ道具ではない。
撤去が決まった第十八共徳丸に変わる代替案を皆で考えていこう。