本日は、マイケル・ポーター教授による

「共通価値(CSV)の創造」

についての講演を拝聴してきました。
ポーター教授の講演は実に10年ぶり以上。以前は東京で「実物」を拝したのですが、60分で36,000円くらいかかったのを覚えています。
今回は、日立さん主宰のイノベーション・フォーラムの一貫として、ボストンからの生中継ビデオ講演。


基本的には、名論文中の名論文『経済的価値と社会的価値を同時実現する 共通価値の戦略』(マイケル・E・ポーター DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー 2011年6月号)に基づく内容でした。

「顧客のニーズに対応するだけでは不十分だ」

という主張は、最近ではいろいろな方が展開しています。コトラー流のマーケティングに対するアンチテーゼです。
『イノベーションのジレンマ』などで有名なクリステンセンもその一人ですが、「共通価値の創造」を主張するポーターの考え方も、従来型のコトラー流マーケティングの限界を示すものです。

共通価値(Shared Values)という概念は、経済的価値を創造しながら、社会的ニーズに対応することで社会的価値も創造するというアプローチです。

単に顧客のニーズにだけ固執していたのでは不十分であり、企業は社会的責任を積極的(能動的に)にとらなければならないとする考え方です。消極的・受動的な責任のとり方では足りないというものです。

共通価値の創出の重要性の前提となった考え方は、ポーター仮説と呼ばれるポーター教授が1991年に発表した理論にあります。
「ポーター仮説」とは、環境規制と企業の国際競争力の関係に関する理論です。
適切な環境規制が企業の効率化や技術革新を促し、規制を実施していない地域の企業よりも競争力の面で上回る可能性があることを指摘したものです。
環境規制が企業の負担になるとする従来の通説とは異なる見方を示した点に特徴がありました。

これまでの資本主義の考え方は、

「企業の利益と公共の利益はトレード・オフである」
「低コストを追求することが利益の最大化につながる」

といったものであり、こういった考え方が依然として支配的です。

しかし、共通価値の概念は、企業が事業を営む地域社会の経済条件や社会状況を改善しながら、みずからの競争力を高める方針とその実行なのだと、ポーター教授は主張しています。

ポーター教授は、企業はほぼ自己完結的な存在であり、社会問題や地域社会の問題はその守備範囲の外にあるというミルトン・フリードマンの主張は誤りである考えています。
社会問題や地域問題を解決することが、企業にとっても生産性が高まるはずだ…というのです。
いいかえれば、これまで外部不経済として企業の守備範囲外だと捉えられてきた社会問題を解決すれば、それによってコスト負担がますどころか、企業側の生産性も大きく改善するはずだ、というの主張なのです。

たとえば、従来の企業は、従業員の健康保険料は高くつくとして、これを最低限に抑え、場合によっては廃止しようとしてきました。
しかし、今や、多くの大企業が、従業員が健康を害すると、欠勤や生産性の低下が生じ、結果的に健康保険料より高くつくと考え、さまざまな健康増進プログラムを実施し、医療費を数億ドル単位で削減している時代です。
健康問題だけではなく、貧困や差別や環境や高齢化といった諸問題も、外部不経済として片付けてしまうのではなく、企業が何とかしなければならない問題であり、それによって企業は損をするのではなく、得をするのだ…という感覚が必要なのでしょう。

ここで、実際に「共通価値の創造」により、成果を挙げている企業を幾つかご紹介しましょう。

まずはネスレです。
本日の講演でも、また、論文にも登場する代表的な「共通価値創造企業」です。
ネスレは、事業活動と「世界をリードする栄養・健康・ウエルネス企業」として、最適な共通価値の創造が実現しています。
彼らは、自社のHPで「共通価値」という言葉をかかげ、「栄養」「水資源」「農業・地域開発」の3つの分野に焦点を絞り事業活動に注力しています。
これらの3分野は、ネスレの事業戦略の中核であると同時に競争上の強みでもあります。
http://www.nestle.co.jp/CSV/CreatingSharedValueAtNestle/FocusAreas/Pages/FocusAreas.aspx

ネスレの中心的商品であり、著しい成長を続けてきた「ネスプレッソ」は、このような共通価値の創造の考え方の好例です。
http://www.nestle.co.jp/CSV/Agriculture/Pages/Agriculture.aspx

「ネススプレッソ」は、最先端のエスプレッソ・マシンと、世界各地のコーヒー豆の粉末が入ったアルミニウム製のカプセルを組み合わせた製品です。高品質と利便性を提供したことで、プレミアム・コーヒー市場でのヒット商品となりました。
しかし、特殊なコーヒー豆の安定供給は非常に難しく、ほとんどのコーヒー豆はアフリカや中南米の貧困地域の零細農家が栽培していましたが、これらの農家は、低い生産性、粗悪な品質、収穫高を制限する劣悪な環境という悪循環の中におり、そのリスクはネスレ側にとっても脅威となっていました。
この問題を解決するため、ネスレは調達プロセスの見直しに取り組みます。
① 農法に関するアドバイスの提供
② 銀行融資を保証
③ 苗木、農薬、肥料など必要資源の確保の支援

現地の栽培農家の「ボトルネック」となっていた経営要因に対し援助し、協力を惜しみませんでした。
しかも、高品質の豆に対しては価格を上乗せし、中間業者や政府を通じず、栽培農家に直接支払うなどの施策も展開し、彼らに対する動機づけ(モチベーション・マネジメント)にも配慮しました。
この結果、1ヘクタール当たり収穫高は増加し、高い品質のコーヒーが生産されるようになりました。
栽培農家側としては、所得が増え、農地への環境負荷が減りました。
ネスレ側は、品質の高いコーヒー豆を安定的に入手できるようになりました。
まさに共通価値が創造され、いわゆるWin-Winの関係が構築されたのです。

本日、講演の中で、ポーター教授が、

「利害関係者との関係性を変革して行かなければならない」

と主張されていましたが、まさにそのとおりだと感じますね。

 

こういった事例は、最近の日本でも増えています。
次にご紹介する事例は、明治です。
明治は、アグロフォレストリーチョコレートの生産戦略において、上記のネスレと似たような共通価値創造の方針を貫いています。
http://www.meiji.co.jp/sweets/chocolate/agroforestry/

アフリカ一辺倒だったカカオ豆の産地分散に取り組んでいた同社は、さまざまな調査の結果、ブラジルのトメアスという地域の日系ブラジル人が高い見識と精神を持っていることを発見します。
彼らとの関係性を強化するために、明治は投資と技術教育を惜しまず、また、トメアスの日系ブラジル人たちは貪欲にそれを受け入れ、両者はパートナーとして成熟していきます。
現地の日系ブラジル人からすれば、明治の技術ノウハウを吸収できるわけですし、明治の分析技術のおかげでカカオの良否を正確に把握できるようにもなりました。共同で改良したカカオを長期間にわたり、明治が全量購入する約束をしてくれたため、収入が安定するといった利点も生じました。
一方、明治にとっては、品質が高く、自社製品にぴったりあったカカオを安定的に入手でき、アフリカ一辺倒だった産地分散という当初目標も達成できるという利点が生じました。
森林農業で栽培したカカオを買い続けることが、アマゾンの森林を再生するという社会貢献にもなるのです。というのは、アグロフォレストリーチョコレートの販売量が伸びれば、森林農業によって栽培されたカカオの購入量が増え、より多くのカカオを生産するために、森林農業を手がける農家が増え、1農家当たりの耕作面積が増え、アマゾンの森林が増えていくのです。明治の試算では、チョコが1枚売れるたびに、アマゾンに50cm四方の森林が再生するといいますから驚きです。

最近の事例も1つご紹介しましょう。
2010年に三洋電機が発売しヒットしたGOPAN(ゴパン)」(現在はパナソニック製です)も共通価値を前面に出した製品の代表でしょう。
ゴパンは、米からパンを作れるホームベーカリーとして一世を風靡しました。発売当初、ソーシャルメディアで話題となり注文が殺到し、ちょっとした社会現象になりました。

「コメを食べたい」

と考える比較的若年層がゴパンを支持したのです。
企画段階から

「米の需要拡大」

を強くアピールし、販促でも「稲作文化」への貢献を打ち出しました。
この理念は、自治体にも伝わり、発売後、「米どころ」と自負する自治体から、市民向けに説明会や試食会を開きたいとの問い合わせが殺到しました。
デモ機の貸し出しは100回近くに達したといいますから驚きです。
秋田県・新潟県・福岡県など7つの自治体がGOPANに賛同。http://jp.sanyo.com/gopan/map/index.html
秋田では、ゴパン購入に補助金を出す制度も作りました。http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/news/20110616/1036329/?P=2

こういった共通価値の事例は今後も増えていくのは間違いありません。

ポーター教授は、これまでも企業は、自らの社会的責任を果たすためにさまざまな試みをしてきたと述べています。企業の果たしてきた社会的責任の態様は大きく2つに区分されます。

① フィランソロピー 寄付や基金
② CSR 社会的責任

しかし、教授はこの2つではいずれも、大きなインパクトを社会に与えることはできないとしています。
①のようなただ寄付をするだけでは、社会問題の根本的解決にはいたりません。②についても、本業とは別に、世間の目があるから一応社会的責任を果たそう…というのでは、本腰を入れていることにはなりません。

ポーター教授の言わんとしているのは、

「本業で儲けながら、直接、社会的な価値も生み出せ」

ということなのです。
本業として取り組むからこそ、本気で考え、本気で動きますので、イノベーションが生じるというのです。

ただお金をあげるだけの①や渋々形だけ行なっている②では、社会問題(貧困、差別、環境、雇用、高齢化等)は解決はしません。

しかし、企業が本気で取り組むなら、そこにイノベーションが期待できる…というのです。
その可能性は、政府や自治体、NPOやNGOが行うよりも高いし、早いし、頻度も大きいだろうというのが理由です。
イノベーションが期待できるということは、当該社会問題が抜本的に解決するか、そこまではいかなくても、大きな前進をする可能性があるということを意味します。
単なる、フィランソロピーやCSRとはその点が大きく異なるのです。

かつて、ドラッカー教授は、自著『マネジメント』の中で、マネジメントが社会的責任を果たさなければならない理由として、社会において社会的責任を果たしうるのは、マネジメント層しかいない(政府や自治体では質的にも量的にも果たし切れない)と述べていました。
ポーターは「共通価値の創造」の担い手として企業をあげていますが、全く同じ理由です。「共通価値の創造」は企業にしかできないことなのです。

論文の中で、ポーター教授は、

「共通価値の創造とは、アダム・スミスの「見えざる手」をより広義に解釈した概念といえる。この考え方によれば、『国富論』の冒頭に登場するピン工場は、より大きな影響力を持つようになる。
また共通価値の創造は、けっしてフィランソロピーではなく、社会的価値を創造することで経済的価値も創造するという利己的な行為である

と述べています。

そうなのです。共通価値の創造は、

「利己的な行為である」

という点にこそ、特徴があります。
教授は、社会的価値を創造するに当たって、企業はバンバン儲けてよいと肯定しているのです。

「何か慈善事業に取り組まなければならないなあ」
「儲からなくてもとりあえず取り組んで格好だけはつけておこうか」

と消極的に何かをする必要はありません。
堂々と儲けながら、社会的価値を生み出していこうということなのです。

これは、実におもしろい考え方です。

宗教改革の際に、金儲けは個人の自由であり、努力して金儲けするのを良いこととみなすプロテスタント教会が出てきたのと似ています。
かつてタブーだとされてきたことを堂々とできますよ…と世界的な経営学者が太鼓判を押してくれているのです。

さてさて。
ポーター教授がおっしゃるには、共通価値がもたらすチャンスを見極める方法は、以下の3つに大別されます。

① 製品と市場を見直す
② バリューチェーンの生産性を再定義する
③ ビジネスを営む地域に産業クラスターを開発する

私たちはどこから手を付けるべきか。
どこの企業でも考える時代にきているのでしょう。

講演を聞きながら、「はっ」と思ったのは、私が行なっているビジネス雑談サロン


これはまさに、共通価値の創出がテーマになっています。

この会合は極めて利己的な会合です。
それはいつも明言しているのですが、

「ビジネスにつなげるためにやっている」

というのが大前提になっています儲けることが前提です笑
そしてまた、

「主宰者の私が学びたいことをいろいろな方から学ぶ機会としている」

ということも申し上げています。
にもかからわず、多くの方が毎回参加してくださり、私そして弊社のビジネス・パートナーになってくださったり、お仕事をくださったりします。

直接の仕事上の関係が生まれない方々出会っても、人的交流が生まれ、知的交流が生まれ、

「非常に社会的に意義がある試みですね」

と評価していただいています。

これすなわち、「共通価値の創造」なのです。

私の取り組みなど小さな取り組みに過ぎませんが、世の中の多くの企業でたくさんのビジネスが「共通価値の創造」を展開していけば、人類はまだまだ進化することができるはずですね。

このあたりをまた皆さんと議論していきたいと思います。