皆さん、こんにちは。
今回はFacebookに投稿した「新書版ヌーボード」をめぐる私見をアップいたしますm(_ _)m
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俳句を嗜む方であれば、常に短冊を常備していることであろう。

インスピレーションを感じるたびに、それを俳句として仕上げていく。
実に粋な趣味である。

俳句を嗜まない私は短冊を持つという習慣がない。
そこで、これまでにも、さまざまな手帳を、備忘録として活用してきた。
「超・整理手帳」も、Evernoteも、Twitterも、iPhoneの音声入力も、つまりところ、短冊の代替品であった。

しかし。
この度、欧文印刷さんが世に出したA4判ヌーボードは、短冊の代替品ではない。
キャンバスの代替品である。

そのことを、この数日間、ずっと試してきた。

阿部寛の映画について語る機会があれば、それについてその場でメモを取れる。

ムンクの名画『叫び』の落札のニュースを目にすれば、それを書き留めることができる。

北斎に思いを馳せれば、その場でそれを描くことができる。

 

これまでにも何度も申し上げてきたが、これは紙では代替できないホワイトボード特有の機能である。
紙に北斎を描く際、眉毛の角度を気にしていては、描くこと自体を躊躇してしまう。
紙の場合、普通は書き直すことができないからである。

躊躇はアイディアの記録を阻害する。
機会損失はこうして発生するのだ。

ホワイトボードであれば、北斎の眉毛の角度は何度でも修正することができる。
躊躇する必要はない。まずは思いついた角度で北斎の似顔絵を描けば良いのだ。
描くことに対する「摩擦係数」が、紙よりもずっと小さいのが、ホワイトボードの根本的な特長である。

前述したとおり、新書版ヌーボードは短冊ではなく、超小型キャンバスである。

親しい友人たちと「白板呑み」を楽しむときにも、このキャンバスは実に有効である。
居酒屋でビールを楽しむ時、A4判のホワイトボードでは大げさすぎることがある。
仰々しいことをよしとしない友人も多い。
そんな時でも、新書版のヌーボードならば、気にせずに持ち込むことができる。
奥ゆかしいのだ。

iPhoneで撮れば、自然な表情を撮れるのに、一眼レフを向けると、なぜかこわばった表情しか撮れないのと、同様である。

面積的な問題も無視できない。
居酒屋で、A4判のホワイトボードを並べまくってしまうと、頼んだ肴を並べるスペースがなくなってしまうからである。
「焼き鳥一皿」とほぼ同じ面積の新書版ヌーボードならば、その心配は杞憂である。

とにもかくにも。
新書版ヌーボードの登場により、飲んだ席で浮かび上がった素晴らしいアイディアを記録できずに忘れて泣く…という機会損失問題から解放された。

「忘れる前に描いてしまえ」

すばらしいイノベーションである。

またひとつ。
酒を飲む楽しみが増えた。

「良き友と飲む傍らにヌーボード」