アドラー心理学。
深いというよりも普遍性が高いというべきなのかもしれません。
私は個人的に、物事の区分けが嫌いで、
「マーケティングとHRM」
「医師と患者の関係と教師と受験生の関係」
「大会社の役員と中小企業の管理職」
「金融機関の営業と自治体の営業」
等を、各々、
「特殊性」
を前面に出して議論をされることを好みません。
「あ、竹永さん、うちは結構特殊な会社(業界)で…」
というパターンが苦手なのでしょうね。
世の中に特殊じゃない会社などありません。
この手の
「特殊性逃げ道の論理」
は、物事の本質から逃避し、イノベーションを阻害する病巣のようなものだというのが、持論なのです。
裏を返せば、そんな特殊性など無視して、
「シンプルな論理」
で物事を考えるべきだ!…思っちゃうんですよね。
地方銀行、信用金庫、広告代理店、住宅建材メーカー、リフォーム業、化粧品メーカー、食品宅配業、コンビニエンスストア、新聞社、官公庁…
お取引先に全く一貫性がありませんが、そのことをさほど不思議に思ったことがないのは、そのためでしょう。
超・整理法やストーリー戦略論、ハーシーとブランチャードのモデルといった普遍性の高い手法を知った時には、大げさにいえば、
「生きててよかった」
くらいの喜びを感じます。
社会科学の世界だけではなく、自然科学の世界についても、考え方は同様。
ここでも、区分けはありません。
継ぎ接ぎだらけの最新の素粒子標準モデルよりは、古典的ながら相対性理論の方にに魅力を感じます。
「エレガントで自己完結しているシンプルなしくみ」
と出会うのが好きなのでしょう。
自らが、DREA、ゲシュタルト分析や拡張型ドメイン、動機づけの7つの湖、テトリス型時間管理論などを提唱してきたのも、その影響でしょう。
Apple製品の活用、自炊により作り上げたデータベース、iCloud、YouTubeとホワイトボード、iMovieを体の一部のように使うようになったのも、全く同様の理由です。
対人関係論についてもうしあげれば、もう15年くらい前になりますが、榎本 英剛さんに手ほどきを受けたコーチング理論が、これまでもっともシンプルかつ普遍性があったと感じていました。ベースはユングでした。
でも、アドラー心理学を研究すると、これまたエレガントですね。
シンプルだし、自己完結性も高い。
真逆の理論ですが(^O^)
目的主義、横の論理、共同体感覚、勇気づけ、価値、感謝、主観、人生のタスク、人生の嘘、承認の否定、トラウマの否定、劣等コンプレックス、支配、復讐、課題の分離、ゴルディオスの結び目、
自己受容、他社信頼、他社貢献、存在…
私はおそらく受け入れられそうです。
多少迷いつつ、ほぼ全面的に喜んで(^O^)
汎用性が高く、完成度が高い。
画竜点睛を欠くモデルが多い中で、例外中の例外だなあ。
この理論が普及すると、本当の意味での世界平和が来るのかもしれません。
でも、官僚組織で育った方々には受け入れることのできない方も多いだろうし、そう簡単には広まらないか。
フロイト派やユング派、ロジャリアンの方々。
従来型の対人教育をうけてきた、そして、慣れ親しんできたカウンセラーやコーチ、講師や教師、医師や専門家、経営コンサルタント、経営者や管理者…
この思想と手法をどう解釈し、受け止めるのだろうなあ。