ビジネス雑談サロンでは、扱いが難しい、政治・外交・歴史・思想・宗教・教育といった話題はこれまで避けてきました。
しかし、ランチタイムや懇親会の場では、これらの話題に花が咲くことも多く、私自身、歴史や教育の話になると、ついつい口を挟みたくなってしまいます。
特に、最近はいろいろな方と教育について話す機会が増えました。
以前に、Facebookの「ノート」にも、自身の教育論を書き綴ったことがあります。
最近思うのは、自らの経験に基づいて教育論を展開する難しさです。
所詮は、n=1。
検証が難しいのです。一卵性双生児に対し、一方にはAというスタイルの教育、他方にはBというスタイルの教育を行い、それ以外の環境は可能な限りそろえ、両者がどのように育っていくかを観察しない限り、どちらの教育システムが彼らに合っているのか、わからないのです。
わかったころには、彼らはすでに大人になっているわけで、わかったところで意味もありません。
教育論のジレンマはここにあります。
量子物理学の世界に不確定性原理という理論があります。
一つの粒子について、位置と運動量、時間とエネルギーのように互いに関係ある物理量を同時に正確に決めることは不可能であるというハイゼンベルグが提唱した考え方です。
教育でも似たようなことがいえます。
1人の子供にとってどのような教育方針が最適であるかは、
その子供が、一卵性多生児でない限り、実験することが不可能なのです。
実験できたとしても、わかったころには彼らは大人になっていて、意味がありません。
逆に言えば、親ってすごいですよね。証明が不可能であるにも拘わらず、常に教育についてのディスジョン・メークをし続ける…私の親もそうでしたし、私もそうですし、私の友人たちもそれを続けている。
もっとも、うちなどは一人っ子ですから、まさに典型的なn=1であり、自分の教育スタイルが正しいか間違っているのかもわかりません。人様の教育スタイルに口を出すなど言語道断〜笑
…などと思うようになりました。続きはまた、「エドモント」か「テング酒場」にて笑