木村研究室訪問の後編。これが最終回です。
1.MIT革命
『まぐろの解体ショー』の話も一段落。
木村先生が一言おっしゃいました。
「MITが、無料公開授業をはじめて以来、大学教育は大きくかわろうとしているんですよ」
MIT。正式名:マサチューセッツ工科大学。
アメリカ合衆国マサチューセッツ州ケンブリッジ市に本部があるアメリカ合衆国で最も有名な私立大学の1つです。
2010年までに77人のノーベル賞受賞者を輩出しており、この数は、ライバルのハーバード大学を上回っています。
ハーバード大学とは競合関係にありますが、両学の授業は、お互いに卒業単位に組み込むことができ、学生たちはこの「単位互換制度」を利用することができます。
それゆえ、ケンブリッジ市は、「学習のテーマパーク」と呼ばれています。
同学は、先端技術産業の集積地であるボストン地区で、中核的な役割も果たしています。
2002年以降、大学の全授業をweb上で公開する試み(オープン・コース・ウェア)がはじまり、一躍、注目を集めています。
一部授業のシラバス、講義録、講義動画を、無料でインターネットに公開。
世界中の誰もが、これらを利用して独学することができます。
同学がこのような試みに至ったのは、大学教育において一番大切なのは。講義内容や教材ではなく、優秀な教授陣、学生との相互啓発作用であると考えたからです。
他の大学とは、提供している顧客機能…「モノ」「コト」の発想が違うのです。
「それ以降、アメリカの大学だけではなくて、日本の大学でも、これに影響を受けた動きも生じています。早稲田も例外じゃないんですよ」
2.一強他弱の論理
カリフォルニア州モントレーに、TED(Technology Entertainment Design)という、毎年1回、カンファレンスを主催しているグループがあります。
講演会は、「TEDカンファレンス」とよばれ、学術・エンターテイメント・デザインなど、さまざまな分野における第一級の人物が担当しています。
2006年から、カンファレンスの内容は、インターネットを通じて無料で動画配信されています。
ジェームズ・ワトソン、ビル・クリントン、ジミー・ウェールズ、ダニエル・ピンクらは、いずれもTEDで講演を行なっています。
ダニエル・ピンクが、著書の中で、偉い経済学者の
「輪読」
のような授業をする大学教授は、今後はオミットされる…と述べています。
私たち社会人教育に携わる者にとっても耳の痛い話です。
「ポーターは『5つの競争要因』について次のように述べています」
と、スライドを出す講義を、私も実際に行なっている1人です。
これがいつまで続くかわかりません。
大学の無料配信動画やTEDのようなカンファレンスの映像で、ポーターやコトラー、ロビンスやコッターらが、次々と
「世界最強の講義」
を発信し続けるようになれば、
「文献輪読型授業」
「文献解釈型講義」
「情報卸売型授業」
「情報中継型講義」
は、この地上から一掃されてしまうからです。
ITビジネスやネットワーク・ビジネスにおいて、よくいわれる
「一強他弱」
が、教育や人材育成の業界においても当たり前になるからです。
モノの流通経路だけでなく、情報の流通経路においても、
「流通短絡化」
「流通短縮化」
が進みます。
「卸売業や問屋は、淘汰が進み、あと数年で半分になります」
などと、教壇で偉そうに話していた流通論の先生自体が、実は情報流通業界の問屋であり、淘汰されてしまうのです。
3.通信制スクール下克上時代の予感
「学生はわざわざ大学に来る意味がなくなるでしょう。『まぐろの解体ショー』で書籍は裁断、データはCloud化され、教員の講義は動画サイトで見られる。ディスカッションは、チャットもあれば、動画電話もあれば、SNSもある…ハードとしての大学は必要なくなるでしょう」
木村先生のおっしゃるとおりだと、私も思います。
「なるほど。そうなると、通信制の大学と通学制の大学の位置づけが逆転しますね。どっちがメジャーでどっちがマイナーか、わからなくなります」
「そうだね。その可能性はあるね」
大前研一氏の設立したブレークスルー大学院。
先日、スタッフの方と知り合い(彼女は実は木村先生の教え子。偶然! 妹弟子のイギリス人女性です)、いろいろ話を伺いました。
「ブレイクスルーさんのオフィスですが、うちの会社(㈱経営教育総合研究所)のお近くだし、ご迷惑でなければ、今度、一度、見学に行ってもいいですか」
「竹永さん、来ていただいてもいいですが…オフィスだけですからね。おいでいただいても見る所はありませんよ」
とのこと。
そりゃあそうですよね。
通信制大学院にキャンパスや教室はいらないからです。
無店舗販売業界にいた私としたことが…! 愚問でした笑
今はまだ日本では非主流派の通信制大学院。やがて、天下をとる日がくるのではないかと思います。
4.集合知時代の講義
さてさて。
今年の春の某企業での新入社員研修。
従来、新人の皆さんは、一生懸命、私の話をメモにとるのが仕事です。
でも、もはや、メモは紙である必要はありません。
「支給されたばかりのパソコン開いていいですよ」
「いいんですか? これでメモとって…」
「構いませんよ。そのほうが効率的だし。…というよりも、僕のPowerPointデータ、送るから、それに上書きしてメモしてください」
しばらくして、
「あ、ここは社内ですから、ネットつながっていますよね。じゃあ、つないだままにしておいてください。僕が講義中に申し上げたキーワードが出てくるたびに、ウィキペディアで調べて…それ見ながら、講義したほうが早いですよね。僕のPowerPointデータ…要らないから…閉じてくださっていいですよ」
もはや悔しくもないですよね。
自分一人で創り上げたPowerPointデータに基づいて。一次元的な講義をするよりも、世界最大の集合知「ウィキペディア」を開きっぱなしにして、1つ1つ概念や定義、メリットやデメリットを、全員でクリックしながら確認し、気になるデータや情報は、
「はい。OK。じゃあ、この頁は念のため、Evernoteに全員落としておきましょうか。後で、帰り道に電車の中でiPhoneで見ながら、復習しておいてください」
で、済んでしまいます。
これまでの事例で何を申し上げたいか。
ちょっと整理しておきましょう。
申し上げたいのは、
「ストックとしての知識や情報には、今やほとんど価値がない」
ということです。
MITがまっさきに、まるで
「大政奉還」
のように、自らの持つ知的資産(ストック)を
「公開」
してしまったのは、自分たちの所有する知識や情報に関して、ストックとしての価値が間もなくなくなることを知っていたからです。
ストックには「株式」という意味があります。
もうすぐ暴落すると分かっている株式は…どうしますか??
そうです。そのとおり。
「手放して、現金にしてしまったほうがよい」
もっとも、MITは、現金の代わりに「名声」をゲットしました。
こんなことを、2番手・3番手の大学がやっても、全然記事にならなりません。
現に、MIT以降、他の大学がどんな順番で、どのように授業の公開化に踏み切り、教材の無償配布をはじめたのか、記事はほとんど見つかりませんでした。
私のPowerPointがほとんど意味がなかったのはなぜか。
同じ理由です。
もっと良い教材(【例】ウィキペディア)が、目の前にあって、だれもがアクセスできるのに、それを使わずに、
「では、7枚目のスライドをご覧ください。こちらに…」
という講義をやっても、意味がないのです。
もし、可能であれば、来年の新入社員研修では、Facebookを使うでしょう。
「Facebookに登録していない新入社員がいたらどうするのか? 強制的に加入させるのか」
…たぶん、これは問題にならないでしょう。
「Facebookに加入していないと、就職できません」
でしょうからね。
Facebookは早い段階で、採用や就職のためのツールとして普及しています。
今年お会いした多くの新入社員の方々と私は現在、Facebookを通じて、「友達」となっています。
ありがたいことです。
彼らの方が、私よりも、PowerPointも、Macも、iPhoneも、iPadも、GoodReaderも、Evernoteも、Dropboxも、Twitterも、ニコ動も、Facebookも詳しい…
「女房と畳は新しいほうがいい」
はもはや昭和の諺。
今や、
「友人と畳は新しいほうがいい」
なのかもしれません。彼らは時として私の先生になってくれるのです。
それほど、新しい友人から教わることは多いのです(旧友の皆さん、すみません。言葉のあやですm(_ _)m)。
話をもとに戻します。
来年の新入社員研修では、Facebookが使えるかもしれません。
たとえば、顧客満足度ナンバー1企業のA社をベンチマークする場合を考えてみましょう。
「…じゃあ、実際にA社の社員の方と知り合いになってみようか。そうしたら、もっといろいろ伺えるかもしれないからね。ただし、営業秘密や機密事項は聞いちゃだめですよ。ちゃんと、自分たちの使用目的(新入社員研修の課題)をお話ししてから質問するように。じゃあ、皆さん、Facebookを開いて。」
上記は一例。まだまだ、ブレスト・レベルのアイディアです。
他にもいろいろな使い方があるでしょうね。
実際に、企業研修で、Facebookを使うためには、乗り越えなければならない壁や問題が多々あるとは思いますが、
「可能性はある」
ということです。
5.大学・社会人教育機関の生き残り策
「これからの大学や社会人教育機関は、どう、生き残ればいいか。」
木村研究室を退室した後も、ずっとこの問題を考え続けてきました。
ここで、社会人教育機関というのは、社会人向け大学院、私的なビジネス・スクール、法人内研修を行う企業、資格の学校などの総称です。弊社や株式会社TBCもこの中に含まれます。
たいへんな難問です。
(1) プレミアム型通学制大学の登場
1つには、僅かながら、通学制の大学・社会人教育機関は、生き残るのではないか…という点です。
① 「デジタル・カメラはどうも嫌いだ。白黒のフィルムを今も使っている」
② 「CDでは音楽を聞いている気がしない。黒いレコードに針を落として聞いている」
③ 「デジタル書籍? なじめないなあ。本は紙でしょう」
世の中にはこういう方が必ずいます。
ちなみに私は②です。今でもレコードで音楽を聞いています。プチプチノイズがいいんです笑
昨日、Facebookに書き込みをしてくださった友人は③。木村先生も、
「『まぐろの解体』はそれはそれでいいんだけど、やっぱり、頁をめくる感覚は、紙の本のほうがまだしっくりくるかなあ」
とおっしゃっていました。
大学もいっしょです。どう考えても、効率は悪いはずなのですが、
「先生や学生と、直に会って、生身の声を聞かないと、頭に入らない。通信制大学じゃダメ。やっぱり、通学制大学しかないでしょ」
という人はいなくなりません。
高いお金を出して白黒フィルムを買うように、
高いお金をだしてレコードを買うように、
高い学費を出してでも、生身の授業を受けたい…
という層は必ず残ります。
今の3倍、5倍…といった学費をとってもビジネスとして成立するかもしれまえん。
名声価格・威光価格が成立しやすいと思います。
「俺、◯◯大学の通学制大学に行っているんだ」
「えええええ。すごいな。お前の家、金持ちなんだな。いいなあ。俺なんて東大だぜ」
学生たちの会話もこんなふうに変わるかもしれません。
近い将来、通学制大学は、とても贅沢で希少性の高い、セレブな教育システムとしてならば、生き残ることあgできます(プレミアム制通学制大学化)。
(2) 知的コンテンツ創造センターとしての生き残り
もう1つの方向性。
それは、
「知的コンテンツ創造センター」
としての生き残りです。
前述したとおり、ストックとしての知識や情報は価値を失いますが、フローとしての知識や情報は依然として高い価値を持ちます。
たとえば。
仮に地球上の大学が一斉に全ての知識や情報を世の中に出したとすれば、一時的に世の中は情報の大洪水になります。玉石混交状態です。
「どの知識を選べば良いのか」
「どの情報が正しいのか」
それを指南するための知識や情報が必要になります。
「氾濫する情報から重要な情報にアクセスするためのノウハウ」
「あふれるほどの情報から必要な情報だけを検索するためのコツ」
という新たな知識と情報が必要になります。
さらに、それらの「ノウハウ」や「コツ」が世間にあふれてくると、
「どの検索システムが最も優れているかを見極めるコツ」
という新たな知識が必要になります。
これらはすべてすぐに陳腐化します。ですから情報自体でなく、情報を生産し続ける能力にこそ価値があるのです。
なんだか、「カントールの集合論」みたくなって参りました。
頭がこんがりそう…
ちょっと、別な例を使って、整理してみましょう。
数学の世界で、どんなにたくさんの仮説や予想が証明されたとしても、次々と未解決の問題、新たな証明すべき仮説や予想が、出てきます。
同様に、高度に情報化が進めば、新たな社会問題が生まれてきます。新たなビジネスのノウハウが必要になります。
それらの解決策を考えるのが、大学や社会人教育機関の仕事です。
知識や情報についての卸売のような機能は縮小しますが、知識や情報を生み出すメーカーとしての機能は残るはずです。
注意しなければならないのは、ここでも、情報をストック化してはいけません。
オープンに…新たな知識や情報を、とにかく、惜しげもなく、発信し続けることが大切。
「ストックではなくフロー」
「フロー」としての知識・情報を出し続ける限り、大学も教育機関も仕事はなくなりません。
つまり、これからの顧客(大学生・企業・社会人)は、
「ストックとしての情報」
にお金を出すのではなく、
「フローとして情報を生産し続ける能力」
にお金を出すようになります。
大学や社会人教育機関のドメインが大きく再定義されるのです。
彼ら(私もですが)が出した情報は、前述したとおり、時間とともに陳腐化します。
一生懸命隠していても無駄。
すぐに他者がキャッチアップした情報を出してしまうので、出し惜しみをする者には、
「ストックの大暴落」
がやってきます。
鮮度の高いうちに知識・情報を「売りぬき」、後は、「次の知識・情報」の生産に入る…
このサイクルを構築できた大学・社会人教育機関だけが生き残れるのです。
「『古新聞』を山のように抱えている大学・社会人教育機関」
に、明日はありません。
6.「常に考え、常に吐き出す」
この件について、私は傍観者ではありません。
当事者の1人です。
木村先生の研究室を退出してからの2週間。
四六時中、考えて、考えて、考えて…の、とりあえずの「中間的な結論」が、今日、ここに記した内容です。
『木村達也研究室訪問録(中編)』を書いてから早1週間以上が経過。
「書かなかった」
のではなく
「書けなかった」
のです。
ゆっくりと校正し、内容をつめ、絞ってから掲載してもよいのですが、それはやめておきます。
「情報は鮮度が命」
だと思うのが、理由の1つ。情報はフローですからね。
もう1つの理由は、今日、これを書きながらの
「筆の勢い」
を残しておきたいと思ったからです。
たとえ活字であっても、書きようによっては、筆の勢いというのは残すことができます。
ですから、完成された美しいブログではなく、書きなぐりの生の状態を残しておこうと考えたのです。
これからの経営コンサルタント業界も同様です。「情報の卸売業」としては成立しなくなります。
「常に考え、常に吐き出す」
これが大切。
「もったいない」あるいは「小出しにしよう」ではなく、
「また考えればいいじゃないか」
「この続きを考えよう」
という精神と能力が、新たな顧客機能になりつつあると感じます。